クレーム

  商品に関してちょっと大きなクレームがあった。
私が担当している問屋さんから報告を受けた。
とあるレストランでクレームが発生した、と。
私は一度も行ったことがないお店だったが、
自分が担当している問屋さんの先でクレームが起きたということで、
私がお詫びにうかがうことになった。


  お店にうかがう前に電話をすると、
お怒りであることが伝わって来た。
夕方のできごとだったが、
すぐにその場で上司に電話をして相談した。
明日うかがうことになったが、何か持っていた方がいいか、
どのようにしてくればいいか、と。


  会社に戻り、チームーのリーダーにあたる人にも報告をした。
このようなクレームが発生したので、明日、いってきます、と。


  私はものすごく不思議だったのだけど、
誰も、一緒に来てくれるとは言わなかった。
そこそこ大きなクレームで、
どのようにお詫びをするかは上司や会社でないと判断ができないような内容だったのに、
なぜ、一年目でまだまだ新人の私が1人でお詫びにうかがわなくてはいけないのだろう、と。
私が行ったってそこで何も解決策を提案できないし、
それに、
会社からも言われた。
どういう風にお詫びをするかは自分からは言うな、と。
会社に持ち帰ってくるように、と。
  仕方がないので私は1人で遠方まで行った。
2時間近くかかった。
駅からも少し距離のある、住宅街の中にひっそりと佇むお店だった。
私のような未熟な立場の人間が1人で行くこともおかしいと思ったし、
菓子折りの一つも持たされないこともおかしいと思った。
一年目の新人社員が手ぶらで訪問して、かえってお客様は怒るのではないかと思った。
珈琲屋でのアルバイト時代に教わったクレームの対応方法を思い返しながら、
お客様と話をした。


  会社に戻って今日の報告をしても、腑に落ちない事だらけだった。


  下の立場の人が会社に対して憤りを感じることはよくあることだ。
踊る大捜査線」の青島君なんて、毎週毎週、憤りを感じて室井さんとぶつかっていた。
だけど青島君があの憤りを原動力にかえて前に向かい続けたのは、
彼が、仕事を愛していたからだ。誇りに思っていたからだ。
残念ながら私には青島君のような志はないから、
誰にも憤りをぶつけない。
そんなことにエネルギーを使いたくない。
あぁ変だなぁ、おかしいなぁ、と思ったままだ。
納得したわけじゃない。
この会社はそういう体質なんだから仕方がない、納得できないなら自分がいなくなればいい、
そんなことを、ぼんやりと思った。
少しエネルギーをぶつけて理解し合おうなんて、思わなかった。
そこまで固執する理由は、どこにもなかった。

忘年会の帰り道

  忘年会の帰り道、ふと空を見上げたら、満天の星空が広がっていた。
空気が澄んで、普段なかなか見えない星まできれいに見えた。
祖父がまだ生きていた頃のことをふと思い出した。
私が今住んでいる家は、
当時祖父母が住んでいた団地から徒歩5分くらいの場所にある。
祖母の様子が見れるようにと、母はわざわざこの場所を選んだのだ。


  小学校五年生の頃、星を観るのが好きだった。
クラスに星座に詳しい女の子がいて、
その子にいろいろと教わりながら、自分でも本を読んで星座を覚えた。
当時私は世田谷区に住んでいた。
母の運転する車で玉川を渡って、川崎市の祖父母の家まで来ていた。
祖父が病気だったこともあり、
土曜日はほぼ必ず、祖父母の家に来ていた。


  私は祖父母の家が苦手だった。
薄暗い団地で、
住んでいる人たちにもどこか陰気な雰囲気が流れていた。
所得の少ない人しか入居できない団地だったせいだろう。
しかし当時の私はそんな事情などは全く知らず、
ただ、その団地全体を覆う陰鬱な雰囲気に嫌悪感を抱いているだけだった。
夜になると真っ暗で、辺りは静まり返り、
団地の階段の小さな裸電球には蛾や虫がたかっていた。
幼い頃からずっと、私は、祖父母の家に訪れるのが嫌いだった。


  団地は高台の上にあった。
星座を眺める楽しさを覚えた小学校五年生の頃、
祖父母の家を出てふと空を見上げた時、
あまりにも沢山の星がきれいに、しかも間近に見えてすっかり心を奪われた。
あぁ、北斗七星の柄杓がこんなにもくっきり、大きく見える!
冬の大三角が、いつもよりも大きく感じる!
オリオン座は本当にリボンのような形をしている!
本の中でしか見ていなかった物を、
まるでプラネタリウムで観るかのように見渡すことができて、
私はすっかり感動してしまった。
それは団地の周りが真っ暗だったのと、高台の上にあったおかげだ。


  あれから13年以上経った。
祖父母の住んでいた団地の近く、今の家に引っ越して来たのは11年前のことだ。
私たちが引っ越してくる前に祖父は亡くなり、
それから祖母は団地に1人で住んでいたのだけど、
痴呆が進んで5年ほど前に施設に入った。
団地にはもう祖父も祖母もいないけど、
私たち家族は今も、あの団地から徒歩5分くらいの場所に住んでいる。
きっともう10年近く、私は、あの日のことを忘れていた。
忘年会の帰り道、家まであと数メートルという場所でふと空を見上げた瞬間、
わずか11歳足らずだったあの日の感動が鮮明に蘇って来た。
忘れていたはずなのに、
信じられないほどリアルに心の中に蘇って来て胸が苦しくなった。
あの頃とほぼ同じ場所で、私は今、同じような空を眺めている。
そう思いながら、
まだ祖父の生きていた頃や、自分のこれまでのことを思い返してしまったりして、
またしても、涙が出そうになった。
最近、すっかりセンチメンタルになっていてよくない。
何かにつけて涙を浮かべてしまう。  

10個で200円

  4時過ぎ頃、浅草寺仲見世を歩いていたら、
人形焼きのタイムセールをやっていた。
焼きたての人形焼きが10個で200円になっていた。
普段人形焼きはそんなに好きではないのに、
なぜか無性に食べたくなってしまって、10個買った。
私の手の平に収まりきるくらいの可愛らしい人形焼きで、
焼きたてで、まだ温かくて、ふわふわしていた。
我慢できずにその場で食べると、
あんこもまだほんのり温かくて、
ふわふわの生地の柔らかさには優しさすら感じられて、
夢中で、ぱくぱくと3個も食べた。


  浅草に営業に来たら、浅草寺に行くようにしている。
最初はおみくじを引くだけだったのだけど、
ある時から煙も浴びるようになった。
今日は思う所があって、
ちょっと真面目に、
柄杓で水をすくって手を清め、お線香も買って、
それから煙を浴び、本堂にお参りをした。
おみくじは引かなかった。
前回、大吉だったからだ。
もうしばらく、大吉のままでいたいと思ったのだ。


  その後、レストランに行った。
1円も自分の売上げにはならないお店なのだけど、
何となく大切にしなくてはいけない気がしている。
マネージャーがいい人で、その人の話を聞くのが、好きだ。
買ったばかりの人形焼きをお土産に渡した。
「今ちょうどタイムセールで安くなっていて、
 しかも焼きたてだったので、お土産です。」
と私が言うと、
「じゃあ一緒に食べましょう。」
とお店の人が言ってくださり、珈琲をいれてくれた。
来年のカレンダーを渡し、新商品の紹介などをしたあと、
他愛もない話をしていた。
すると、おもむろにその人は言った。
「実はね、僕、そのうち辞めるんですよ。」
びっくりした。
「あらっ。
 夢を実現されるときが来たんですか?」
と、思わず言ってしまった。
前にその人から、自分はこんなお店を持ちたいのだと言う話を
聴いたことがあったからだ。
「いやね、実はもう3、4年前からここの社長と合わなくて、
 何度も辞めるという話が出ていたのだけど今まで続いていて、
 今回また、どうしても社長に対して我慢できないことがあったから、
 話し合って、辞めることになったんです。
 次の人が見つかって引き継ぎをしたら辞めることになってるんですけど、
 まだ見つかっていないみたいなので、
 今の所、いつ辞めるかは決まっていません。
 まだあまり人には話していなくて、
 今日吉田さんにもお話しする予定はなかったんですけど、
 やっぱり話そうかな、と思って。」
と、その人は言った。
まだ3回くらいしか話したことがない人だったのに、
私にしては珍しく涙が込み上げそうになったほど、寂しくなった。
「残念です。」
何度そう言ったか、覚えていない。


  きっと涙が込み上げそうになったのは、
その人が私に話してくれたことが嬉しかったのと、
それと、
自分もそのうち仕事辞めちゃおうなんて考えていたから、
「仕事を辞める」ということそのものが、
他人事ではなく感じてしまったからなのだと思う。


  そのお店に訪問するのはいつも4時半で、
お店を出る頃には5時半近くになっている。
ワインの話なんてほとんどしない。
そこのお店の常連さんの話や、私の話などをしているうちに、時間が過ぎてゆく。
夏に来た時には、
お店を出る時には夕暮れのきれいな景色が広がっていて、
浅草寺あたりを通る時には夏の情緒を感じた。
あぁこれが、私の思う所の日本の夏だなんて思ったものだった。
だけど、
いつの間にかすっかり冬になっていて、
今日お店を出た時にはあたりはもう暗くなっていて、
辞めるだなんて聴いたからだろうか、無性に帰り道が寂しく感じられた。
木枯らしが冷たかった。


  なんで人形焼きを買っていこうなんて思いついたのだろう。
きっと私が人形焼きを買っていっていなかったら、
彼は、辞めることを話さなかっただろう。
なんとなく、そんな気がした。


     死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。
     お年玉としてである。着物の布地は麻であった。
     鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。
     夏まで生きていようと思った。
                    (太宰治『葉』)


  仕事を辞めてしまおうと思っていた。
早く次を見つけようなんて思って、履歴書も送っていた。
話が決まれば、年内で辞めたいとさえ思っていた。
そんな矢先、お世話になっているお店の店長さんから言われた。
「吉田ちゃんにいいこと教えてあげるよ。
 うちの社長が、年明けに3店舗でワインをそろえてグラス売り展開したいんだって。
 それで、じゃあ吉田ちゃんの会社のワインで、って言っておいたから、
 今度社長に売り込みに行ってきなよ。」
と。


  言われて社長の所へ行くと、
「もう、誰かから話は聞いてる?」
と、言われた。
「はい。
 年明けにワインを探されているとか。」
「そうそう。」


  そういうわけで、2月に向けて商談をすすめていくことになった。
あぁこの人たちに申し訳ないから2月までは辞められないなと思った。
その時ふと、
高校生の時に読んだ太宰治の『葉』という作品の一節を思い出した。
あぁ、きっとこういうことなんだろうな、と思った。
私は死のうと思っていたわけではないけれど、
人からの厚意によって自分で定めた期限が延長された点で、共感した。


  物語や文章というのはあくまでも二次元の出来事で、生身の生活とは違う。
だけど、日常生活のある体験の中で
ふと過去に読んだ文章を思い出しそれが自分の実体験とつながった時、
その文章には息が吹き込まれ、その文章は自分のものになる。


  

ばら

  朝起きて、久しぶりにバラを眺めた。
何か様子がおかしいなと思ってよくよく眺めていたら、
至る所に虫がついていた。
あぁだから葉っぱがこんなに貧そうになって、
全体的に元気がなくなっていたんだな、と思った。
枝の枯れてしまった部分や、
虫のくっついている葉っぱを切り落とした。
寒々しくなってしまったバラをじっと眺めてみたら、
至る所に新芽が芽吹き始めていた。
冬はこれからだというのに、
もう、花は春に向かっている。
私はそのことにすっかり感動してしまった。
ほったらかして水さえやらなくなっていたのに、
たくましいな、えらいな、と思った。


  自分に余裕がなくなってくると、
私はいつもつい、このバラをほったらかしてしまう。
もう5年くらい育てているが、いつもそうだった。
そして、余裕がなくなって限界に達しそうな時、
私は、
そうだバラの面倒をみなきゃ、なんて思って久しぶりにバラに時間を費やす。
水もやらずにしばらくカラカラにしていたのにも関わらず、
バラは健気に花を咲かせていたりして、
私はいつも、バラに諭されたような気分になる。
ごめんね、なんて思って、手入れして、養分を沢山与える。
そして私は少し、元気を取り戻す。
いつからか、そんなサイクルができあがっていた。

パブリックシアターと、サイモン・マクバーニー

  世田谷パブリックシアターに「春琴」を観に行った。
サイモン・マクバーニーという演出家が、
谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』に描かれる美の世界をモチーフにしながら
春琴抄』をオリジナル化した舞台で、
それはもう美しかった。
日本古来の、マイナスの美が舞台に現れていた。
マイナスの美というのは、
余分な物を限界まで削ぎ落としていって、
最低限の物だけで表現していくことだけど、
私が一番感動したのは、
木の棒だけを使って大木が風に揺れている表現をしていたことだ。
6人くらいの黒子が、細長い角棒を1人1本ずつ持って縦一列にならんで、
棒を横にかざしながらランダムに柔らかく動かし、
木の枝が風になびく様子表現していた。


  久しぶりに鳥肌の立つ芝居を観た。
作品の内容や役者の演技だけでなく、演出に感動したのは初めてだ。
またこの演出家の芝居を観に行きたいと思った。


  思い返してみれば初めて観た芝居も、
サイモン・マクバーニーの演出によるものだった。
場所も同じ、世田谷パブリックシアターで、
エレファント・バニッシュ」を観た。


  ジャッキーに誘われて、観に行ったのだ。
2階か、3階の席で、舞台上手がわの席だったのを覚えている。
後にジャッキーがアメリカに留学して、
留学先からの手紙に舞台を観に行った日のことが書いてあった。
劇場内の静けさ、空気、隣に私がいた感覚を鮮明に覚えていて、
今でもよくそれを思い返す、と。


  あれから7年も経って、
私は1人でまた上手がわの席に座って、
あの日のことを思い出してみたら、思わず涙が込み上げた。
懐かしいのか、悲しいのか、どうして涙なんて出たのかわからなかった。
芝居なんてもの観たことがなくて、興味すらなかった私が、
今こうして1人で芝居を観るようになったのは、あの日があったからだ。


  別に意識して今日ここにこの芝居を観に来たのではなかった。
ただ、谷崎潤一郎原作の「春琴」と深津絵里主演、というのに惹かれて、
4日前にチケットを取っただけだった。
営業中、三軒茶屋を歩いていたら偶然ポスターを見かけて、
そのポスターを見ながらチケットセンターに電話をした。
チケットが1枚だけ残っていた。
他の日はもう全部完売していた。
間に合ってよかった!としかその時は思ったのだけど、
そうやってギリギリでチケットを取れて
ジャッキーと初めて観に来た芝居のことや、同じ演出家のこと、
その後のことなどを思い返したら、
何だか不思議な物を感じてしまって、涙が出たのかもしれない。

中学の同級生

  渋谷で、中学の同級生を見かけた。
彼女は高校を途中でやめてしまったから、
かれこれ7年くらい会っていないことになる。
ちょっとシュールで、頭が良くて、
どことなく色っぽくて、
私はなんとなく彼女が好きだった。
決して主張の強いタイプではなく、
多分彼女としてはなるべく地味に、ひっそりと静かにいたかったのだろうけど、
彼女を慕う人は多かった。


  彼女は黒いスーツに黒い鞄を持って、
いわゆる就活スタイルで歩いていた。
これからどこかの説明会にでも行く所だったのだろう。
彼女に声をかけたかったのだけど、
彼女もさかさか歩いていってしまったし、
私も急いでいた。


  それからしばらく、彼女のことを考え続けていた。
同窓会のような場にも顔を出さない人だ。
これから先、もう一生会わないかもしれない。
そう思えば思うほど、
声をかけなかったことが悔やまれた。


  最近、そういう、街中で誰かに偶然会うことが多い。
なんでこう、立て続けに起こるのだろう。
私は、
こういう出来事を何かの縁だとか、
何かの知らせなのではないかと考えるのが好きで、
きっとこれから何かが起こるのでないだろうかと、期待をしている。