私は、好かれていたのだろうか


  土曜日の今日、前に勤めていた会社の上司からメールがきた。
「どうしてるかなと思い、メールしました」と。
女性で、入社当初は私の所属のチームの主任として働いていて、
年明けとともに課長に昇進し、私の上司になった人だ。
金曜日、在職中に私が担当していたお店に行って私の話題になったのだという。
お店の人も私のことをなつかしがっていたと、メールにあった。
私は、もしかしたら好かれていたのかもしれない、とぼんやりと思った。


  今となってはもう、自分が正社員として全うな24歳を生きていたことが、
嘘みたいに感じる。
辞めた直後からすぐに、
確かにあれは一時期私の日常だったのだけど、
どこか非日常だったような、
中学生の頃のつらかった部活の合宿のようなものだったという気がしていた。
会社を辞めた後、私は、やっと自分の日常に戻った気がしていた。


  でも、辞めてもなお、こんな風に思い出してもらえるなんて、
幸せなことだと思った。
もう戻りたくはない時間、
その時間を生きていた時からなじめずにいた時間だったけど、
その時間の中で生きていた私を、思い出してくれる人がいる。
私は、もしかしたら、好かれていたのだろうか。

私はこういうふうにしか生きられない

 人生ってそんなご立派なものだろうかと考えていたのだけど、
エスクァイアを読んでいたら、内田樹さんがこんなことを言っていた。


   教育の場にも消費社会のこの原理が侵入してきました。学習の動機付けとして、
   努力の報酬を約束する「利益誘導」のロジックが取り入れられました。
   それから後、どんな教科や学術についても、
   「それを学ぶと何の役に立つのか?それを習得するといくらになるのか?」
   といった有用性についての問いが教育の決定基準になりました。

              (『エスクァイア』2009.4「もう一度、学校に行こう」)


 それが本当に必要かどうかは今はわからなくても、いずれ必要になるかもしれないもの、
を自分の中に取り込むことが学びであるし、また、
いずれ自分にとって死活的に必要になるものは人によって違うのだけど、
この学習はいくらになるのだろうかという功利的な思考が本来の学びを崩壊させてしまい、
いずれ出会うことになる自分のチャンスを捨ててしまっているに等しい、と内田さんは言っている。


 私が最近よく言われるのは、
「早稲田なのに」
という言葉だ。
早稲田大学を卒業していれば有名な会社で働いてそこそこの年収をもらっていて当然なのに、
吉田さんはいったい何がしたいの、というようなことを、
オブラートに包んだ柔らかい言い方で多くの人から言われる。
わけのわからない商社に入って一年も経たないうちに辞めて、
アルバイトでやっている私を見れば、
きっと多くの人がそう思うのだろう。


 どうして早稲田に行きたかったんですか、とか、
早稲田に行って良かったですか、とか、
なんだかいろいろと聞かれるけど、
なにか聞かれても人を満足させられる理由なんて何一つない。
大学はどこにしようと青柳先生に相談したら、
「彩乃は早稲田っぽい」
と言われ、その日から早稲田を目指すようになった。
ただ、それだけのことだった。
偏差値という言葉さえ知らない人間だったので、
現役の年は早稲田はおろか、受けた大学は全部不合格。
多分あの頃は偏差値45くらいだったと思う。


 「仕事いやだなぁ」
と言いながら毎日会社に行っている人は、
どうして嫌なのに毎日毎日、そうやって、会社に行くことができるのだろう、
我慢が出来るのだろうと、
不思議でならない。
私の感じる会社に対する嫌悪感と、
その人たちの感じる嫌悪感は種類が違うのか、
私には忍耐力がないのか。


  収入が無いに等しくて、
生活が不安定で、
それでも、
悲しいけれど、私は、こういうふうにしか、生きられない。
落ちこぼれでも何でも、今の生活が、私には一番いい。

吉田さん、これからどうするの?

  今朝、校閲室の新聞を綴じていたら、
「吉田さん、これからどうするの?」
と、突然聞かれた。
ヒゲと黒ぶちメガネがトレードマークの男性で、
多分、部長かなにか、そこそこの役職の人だろうと思われる。
名前も知っているし、よく話はするが、
私は彼の役職を知らない。
ただ、偉い人が座りそうな位置に座っているので、
偉いのであろうと思われる。
「今のままじゃ、不安定でしょ。」
彼は言った。
「そうなんですよね。
 ここでは正社員になるのは無理そうなので、
 どこか正社員になれそうな所を探しているんです。」
「もう探してるの。」
そう言って彼は笑ったけれど、
何を隠そう、実は、昨晩  転職サイトに登録したばかりなのだ。
「しばらくはここで働きたいですけど、
 そろそろ正社員になりたい、って思った時に手遅れにならないよう、
 今から探しておこうと思って。
 まだここで働き始めたばかりだから、
 今辞めちゃうと、ただの仕事が続かない人になっちゃうので、
 編集長に『辞めてください』と言われない限りは働きます。」
校閲部のアルバイトの人のことなど、まぁ諸々のことを話していたら、
彼は言った。
「吉田さんはしっかりしてるから、
 しばらくはここで働いててくださいよ。」
「何歳くらいまで大丈夫ですかね?」
思わず私がそう言うと、
「それは僕にはわからないなー。」
と彼は笑った。


  人からそういう風に言われたことが嬉しくて、
思わず書かずにはいられなかった。
自己顕示欲を満たしたい訳じゃない。
自分に自信がないから、こうして人の言葉で確かめておきたいのだ。


  私の席の前に座っているベテランの女性は、
時間がある時には彼女のおすすめの会社のホームページを検索して、
「吉田さん、いま、この会社募集が出てるよ。
 今回の募集は応募できなくても、
 たまにやってるみたいだから、見ておくといいよ。」
と、教えてくれる。
先日はおすすめの雑誌の編集部にいる知り合いに、
募集はないか聞いてくれた。
食べ物専門の情報誌だ。

  
 

手紙

  ジャッキーから電話がかかってきた後、手紙を書いた。
「落ち込んだらまた電話するよ」
なんてことを言われて、私は胸が締め付けられるような気持ちになって、
それからずっと彼女のことを考えていた。
心配だったのもあるし、
こんなふうに自分を必要としてもらえたことが嬉しかったからでもあるし、
どんなことでもいいから、彼女に何かを伝えたかったのだ。


  電話だとうまい言葉が見つからず、
何も気の利いたことを言えない自分が嫌になるのに、
紙に向かうとすらすらと言葉が出てくる。
伝えたい思いがどんどん、どんどん溢れてきて、
文字を書くスピードが感情の生まれるスピードに追いつかないほどだ。
恥ずかしくて言えなかったことも、手紙になら書ける。
どうして私はこうなのだろうと思った。
一番大切なことは、
ジャッキーのように近しい存在にさえ、
恥ずかしくて声に出して伝えることができない。
恥ずかしいのだ。
恥ずかしくて恥ずかしくて、とても口にすることができないのだ。
「私は、友達だから舞台の上のあなたに魅力を感じているのではなくて、
 舞台の上のあなたに魅力を感じているから、
 これからもずっと友達でいてほしくて、
 公演を見に行ったり、手紙を書いたりする」
と、もうずっと前から思っていることなのに、
どうしても、声に出すことができない。


  私は、文字を介してしか自分の気持ちを人に伝えることができない。

珈琲を飲みに

  御徒町のイベントでその人が一日中  珈琲を淹れると聞き、
仕事後、珈琲を飲みに行った。
そのイベントのメインは珈琲ではなくその人が撮った写真の展示だったのだけど、
私には、その人が淹れた珈琲を飲むことの方が重要だった。
行けば誰か知り合いに会うだろうと思ったし、
誰もいなくても、その人と少し話して帰ろうと思っていた。
行くとやはり何人も知り合いがいて、お久しぶりですね、なんて話しながら、
早速、珈琲をもらった。
欲を言うなら、淹れたてを飲みたかった。
少し時間が経って酸が出ていた。
ラテンアメリカの珈琲だろうかと思って聞いてみると、
モカだと言われた。


  その人がまた次の珈琲を淹れるとき、
「ドリップするところを見せてください。」
と、私が言うと、はじめその人は少し嫌がった。
「あ、じゃあ吉田が淹れる?」
と言われ、
「え、私が淹れたら意味がないですよ。」
と、思わず言ってしまった。
「私、人が珈琲淹れるところを見るのが好きなんです。」
と私が言うと、その人は仕方なさそうにいいよ、と言い、
「その人の性格が出るもんね。」
と、言った。
彼は結構大胆に、お湯をどんどんついでいた。
お湯の太さも、そんなにこだわりはないようだった。
きっとこの人、
珈琲を淹れることよりも飲むことの方が好きなんだろうなと思った。
彼も私と同じように、
誰が、どんな風に珈琲を淹れて、
そしてその珈琲はどんな味になるのか、ということに興味があるのだろう。
そんな気がする。

  
  彼とまだ知り合う前にも、私は、彼の作った雑誌を買ったことがある。
旅をテーマにした雑誌だったのだけど、
私が買ったのは、珈琲の生産地の特集の号だった。
グァテマラの号と、エチオピアの号。
グァテマラの方は岸野さんがえらく気に入って家に持って帰って読みたいと言い、
それきり、返してもらっていない。
だから私の手元には今、エチオピアの方だけ残っている。
珈琲のことを扱う雑誌や書物は世の中にごまんとある。
どれも内容は似たり寄ったり、
あとはデザインや写真の取り方、全体のバランスなどの好みで、買う本、買わない本を選ぶ。
しかしその雑誌は違っていた。
珈琲の生産地の特徴や、その珈琲の特徴などを上っ面だけで紹介するだけの雑誌や書物とは一線を画し、
どんな人がどんな風にその珈琲を作っているのか、
その珈琲がどんな環境で育まれるのかということ、文化そのものに関心を寄せてつくられていた。
こんな本を待っていた!
本屋で見つけたとき、私はそう思ったのだ。
そしてそれを岸野さんと一緒に読んで、
へー、と感心したものだ。
その人と一番最初に会ったときに、私は、自分がそんな風に感動したことを伝えたのを覚えている。
彼は、ピアノの前に座っていた。


  彼は、私がイタリア食材やワインを扱う商社にいたことも、
今は週刊誌の編集部でアルバイトをしていることも、よく知っている。
だけど、人に私を紹介するとき、たいてい
「彼女も前に珈琲屋で働いてたんだよ。」
と言う。
私は一度、珈琲屋である自分について書いた文章を、彼の前で読んだ。
きっとその印象が強いのだろう。
今日も、そんな約束していないのに、勝手に
「今度、吉田が淹れた珈琲を飲ませてもらう約束をしている」
と、その日  私が初めて会った人に言っていた。


  帰り道、私は、珈琲屋だった自分を思い出した。
そして、あの頃私が、どんな気持ちで珈琲を淹れていたのかも思い出した。
毎日当たり前のように香りをかぎ、
最近この豆は香りがいいな、とか、逆に、この豆は最近香りが弱いな、などと思いながら、
その珈琲の一番いいところを引き出そうと思いながら珈琲をドリップしていた自分を。
それから、ぼんやりと、
これから先、なんにも見つからなかったら、私は珈琲屋さんになろうと思った。

探し物は見つかりましたか

 大学四年生の時、ある出版社が主催する、表現とは何かを考える講座に出ていた。
 半年間の講義が終わるとき、講師をしていたその人からハガキをもらった。
手紙は全部で三行か四行かの文章で、
その一行目には、こう書かれていた。
「探し物は見つかりましたか?」


  その頃の私は、
自分は確かに何かを探しているのだけど、
でもいったい何を探しているのかわからない、という状態だった。
半年間の講義の始まりの日、その人に初めて会った日に私は言ったのだ。
自分は何か表現に関わることをしたいのだけど、
でも具体的に何をしたいのかはわからない、と。
それがわかればいいと思って、今日はここに来た、と。


  半年経ってもまだ、わからないままだった。
そしてあれから二年が経った今でもまだ、わからずにいる。


  会社を辞めたきっかけは、いろいろある。
11月に大川先生と下北沢の道ばたで偶然会って、
「今すでに価値のあることに飛びついても、
 それはただ他人の排泄物をなめているだけにすぎない。
 今はまだ価値のないことに価値を作り出していかなくてはいけない」
と、突然言われた。


 
  会社員というものに一度なってみたいと思う反面、
本当に好きなことをするならアルバイトでもかまわない、という気持ちがあった。
それでも会社員になることを選んだのは、
母を安心させたかったことや、
母や父も経験したことがないものを自分はやってみたかったということや、
家に決まった額のお金をいれなくてはならないことと、奨学金の返済など、
いろいろな理由があったからだ。
会社員というものになってみたい、という好奇心が一番大きな理由だったのかもしれない。

  いつからか会社は私にとって、
経験を得るための場所ではなく、お金のためだけの場所になっていた。
正社員であることそのものに価値があるという社会的状況の中で、
私もまた、正社員というものにしがみつこうとしていたのかもしれない。
そういう状況の中で、下北沢で大川先生に会った。
11月3日だった。

 出版社で働けることになったら、
たとえそれがアルバイトであろうとも、すぐに会社を辞めよう。
元旦あたりでそんなことを決意して仕事を探し始めたら、
運良く今の会社でのアルバイトの募集を見つけたのだ。


  いろいろな人を裏切り、迷惑をかけることが少しは気になったが、
でも、自分を貫くためには必ず犠牲も伴うのだ、などと思い、
誰にも言わずに一人で考え一人で決め、
誰も知らないところでアルバイトの採用が決まり、
それから、「家に入れるお金は減らさない」という条件の下で親の承諾を得て、
会社にも退職の意を告げた。
取引先に挨拶もないまま、私は会社を去り、
その後私の悪評を様々なところで耳にしては少し心を痛ませながら、
それでも私は心の底から今ある自分の生活に満足して、
「これでいいのだ」
と思っていた。

  いろいろな人から
「それでいいの?」
「何がしたくてこの会社に来たの?」
「正社員を辞めるなんてもったいない」
と言われた。
でも私はずっと、
「これでいいのだ」
と思っていた。
ただ一つ不安なのは、これから先、自分が、何をどうしたいのかが見えないことだった。
自分はやっと、望んだ道を歩み始めたのだという確信はあったのだけど、
果たしてここから何をしたらいいのかが、わからなかった。
自分の中が雑然としていた。
しかし、雑然としていることは幸福なことだとも思った。
からっぽになっているわけではない。
自分の中には既にもう答えがあって、
だけどそれを自分で自覚できていないだけ、そんな気がしていた。



  私はあの講座に通ったから、今があるのだと思う。
探し物は見つからない。
だけど、探す手がかりは、あの講座の中から得ることができた。
誰か一人の監督に夢中になり、
まるで彼を追いかけ回すように試写会に行くようなこともなかった。
こういう何気ない時間の先に、
答えがあるような気がしている。

女としてのセンス

 『婦人公論』の最新号に載っている、山田詠美安部譲二の対談を読んだ。
仕事中に自分の机で読んでいたのだが、
「何の記事ですか?」
と、おじいさん(記者)に話しかけられた。
山田詠美さんと安部譲二さんの対談です。」
「ほう。山田詠美さんと、安部譲二さん。
 何についての対談ですか。」
「最近、私が真剣に考えていたことなんですが。」
「はぁ、そうですか。
 何について考えてたんですか。」
「あの、
 女としてのセンスがない、っていう読者の悩みについての対談です。」
「あぁ、女としてのセンス。」
粘り強い取材をするとして一目置かれている記者だが、
答えが自分の興味のないものだともうどうでもいいようで、
特に何も言わないまま自分の席に戻っていってしまった。


  その後、給湯室で私が作業をしていると
「自分は女としてどうだろうと考え、
 ああいう記事を読んでいるだけでももう充分女らしいですよ。  
 立派ですよ。」
と、おじいさん(記者)に言われた。
あぁ、私に何と言ったらいいか考えてくれていたのだなと思った。


  ちなみに山田詠美はこの読者に対して、
女としてのセンスと言うか生きるセンスがない、と苦言を呈していた。


  つい最近、私のある発言に対して、知人の男性から、
「そんなこと言っても、甲斐性のない女としてただ印象が悪くなるだけ」
と言われた。
私は彼の歯に衣着せぬ物言いが好きで、
だから彼に何か助言を求めたくなると言うか、
私のこういう生き方に対して彼は何と言うだろうと、
いつも期待してしまうのだ。
何か自分では予想もつかない、目からウロコのようなことを言われたい。
そう思っている。


  そもそも女に甲斐性を求めるものなのか、
甲斐性なし、とは男性によく使われる言葉なのではないか、
と思わないでもない。


  女として自分は決定的に何かが欠落しているという想いが私にはある。
その欠落している何かを、
彼の「甲斐性なし発言」は鋭く指摘しているような気がした。
お前、もっと上手くやれよ、とでも言われているような。
上手く立ち回ることができず、
いつも失敗してきたから、いま、こんなことになっているのだ。