10個で200円

  4時過ぎ頃、浅草寺仲見世を歩いていたら、
人形焼きのタイムセールをやっていた。
焼きたての人形焼きが10個で200円になっていた。
普段人形焼きはそんなに好きではないのに、
なぜか無性に食べたくなってしまって、10個買った。
私の手の平に収まりきるくらいの可愛らしい人形焼きで、
焼きたてで、まだ温かくて、ふわふわしていた。
我慢できずにその場で食べると、
あんこもまだほんのり温かくて、
ふわふわの生地の柔らかさには優しさすら感じられて、
夢中で、ぱくぱくと3個も食べた。


  浅草に営業に来たら、浅草寺に行くようにしている。
最初はおみくじを引くだけだったのだけど、
ある時から煙も浴びるようになった。
今日は思う所があって、
ちょっと真面目に、
柄杓で水をすくって手を清め、お線香も買って、
それから煙を浴び、本堂にお参りをした。
おみくじは引かなかった。
前回、大吉だったからだ。
もうしばらく、大吉のままでいたいと思ったのだ。


  その後、レストランに行った。
1円も自分の売上げにはならないお店なのだけど、
何となく大切にしなくてはいけない気がしている。
マネージャーがいい人で、その人の話を聞くのが、好きだ。
買ったばかりの人形焼きをお土産に渡した。
「今ちょうどタイムセールで安くなっていて、
 しかも焼きたてだったので、お土産です。」
と私が言うと、
「じゃあ一緒に食べましょう。」
とお店の人が言ってくださり、珈琲をいれてくれた。
来年のカレンダーを渡し、新商品の紹介などをしたあと、
他愛もない話をしていた。
すると、おもむろにその人は言った。
「実はね、僕、そのうち辞めるんですよ。」
びっくりした。
「あらっ。
 夢を実現されるときが来たんですか?」
と、思わず言ってしまった。
前にその人から、自分はこんなお店を持ちたいのだと言う話を
聴いたことがあったからだ。
「いやね、実はもう3、4年前からここの社長と合わなくて、
 何度も辞めるという話が出ていたのだけど今まで続いていて、
 今回また、どうしても社長に対して我慢できないことがあったから、
 話し合って、辞めることになったんです。
 次の人が見つかって引き継ぎをしたら辞めることになってるんですけど、
 まだ見つかっていないみたいなので、
 今の所、いつ辞めるかは決まっていません。
 まだあまり人には話していなくて、
 今日吉田さんにもお話しする予定はなかったんですけど、
 やっぱり話そうかな、と思って。」
と、その人は言った。
まだ3回くらいしか話したことがない人だったのに、
私にしては珍しく涙が込み上げそうになったほど、寂しくなった。
「残念です。」
何度そう言ったか、覚えていない。


  きっと涙が込み上げそうになったのは、
その人が私に話してくれたことが嬉しかったのと、
それと、
自分もそのうち仕事辞めちゃおうなんて考えていたから、
「仕事を辞める」ということそのものが、
他人事ではなく感じてしまったからなのだと思う。


  そのお店に訪問するのはいつも4時半で、
お店を出る頃には5時半近くになっている。
ワインの話なんてほとんどしない。
そこのお店の常連さんの話や、私の話などをしているうちに、時間が過ぎてゆく。
夏に来た時には、
お店を出る時には夕暮れのきれいな景色が広がっていて、
浅草寺あたりを通る時には夏の情緒を感じた。
あぁこれが、私の思う所の日本の夏だなんて思ったものだった。
だけど、
いつの間にかすっかり冬になっていて、
今日お店を出た時にはあたりはもう暗くなっていて、
辞めるだなんて聴いたからだろうか、無性に帰り道が寂しく感じられた。
木枯らしが冷たかった。


  なんで人形焼きを買っていこうなんて思いついたのだろう。
きっと私が人形焼きを買っていっていなかったら、
彼は、辞めることを話さなかっただろう。
なんとなく、そんな気がした。