無題


  写真を、もっと上手く撮れるようになりたいのだけど、
なかなか思うようにいかない。
いつか駒沢公園近くのバーで知り合った男性に
「技術や勉強なんて必要ないよ。
 数、撮れ。数。
 写真の善し悪しは撮った数に比例する。」
と、言われたことがある。
それをひたすら信じて、なるべくどんなものでも撮るようにしている。


  在学中には大学野球大学ラグビーも一度も観に行かなかったけど、
昨日、友人に誘われて初めて大学ラグビーを観に行った。
そう言えばラグビー部のマネージャーをしていたこともあったっけ、なんて、
昔の自分のことを思い出した。


  箱根駅伝の映像をニュースで見て、
まぁ箱根の山には雪が積もっていたのかしら、なんて思った。
あれは本当に、箱根の映像だったのか。


  仕事がないと、ぼんやりと色々なことに想いを巡らせている。
ジャッキーと出会ったときのこと。
なぜ私は彼女とどうしても友達になりたいと思ったのだろうか、とか。
映画のワンシーン。
(ちなみに今日は、「東南角部屋二階の女」という映画の中で、
 西日の差し込む窓に向かいながら加瀬亮カップヌードル
 食べているシーンについて考えていた)
太りにくい夕食について。
長い休みがとれるとしたらどんな所へ行ってどんな旅をしたいか。
自分の親戚のこと。

  

  昨日、ラグビーを観ながら
「年末年始はおじいさんやおばあさんに会ったりしたの?」
と、聞かれた。
「会ってないよ。」
と、私は答えた。
「え、会わないの?」
「誰もいないから。」
「あぁ、そうなんだ。
 じゃあ親戚に会うの?」
「会わない。」
「え!」
「親戚も、いないから。」
私は言った。
彼は少し腑に落ちないような様子だったけど、私は、それ以上は話さなかった。


  父方の祖父に関しては、母が父と結婚した時にはもう他界していた。
祖母については複雑で、父は、本当の母親をしらない。
育ての母となる人も、父がまだ幼い時に祖父と離婚したため、
連絡をあまり取らなくなっていた。
しかも親不孝な話なのだけど、
この育ての母は知らない間に亡くなっていた。
数年前のあるとき、思い立って父が連絡をとったときに判明したのだ。


  母方の祖父は、13年ほど前に亡くなった。
祖母は、本当は生きているのだけど、
認知症がひどくなり郊外の施設にいる。
家族に会うと発作を起こしたようになってしまうので、
敢えて会わずにいる。


  親戚も、本当はいる。
母には弟が1人いる。でも、音信不通になってしまった。
父にも姉がいるのだけど、
その人は父の異母姉であるし、父と母が離婚してもう20年近く経ったら、
敢えて会う理由もなくなってしまった。  


  もしも私が誰かと結婚をする時がきたら、
こんなにも親戚関係で楽な女はいないだろうと、ぼんやりと思った。
これは私の強みなのではないか。


  私は、家族や親類について多くを語る場合と語らない場合がある。
今回は、あまり多くを語らなかった場合に該当する。


  いつだったか、ある同い年の人から、
両親について聞かれたことがある。
「吉田ちゃんのお母さんて、今、何歳?」
「49歳」
「お父さんは?」
「65歳」
「えっ!お父さんすごいね。」
と話をしながら、どんな流れだったか忘れてしまったけど、
両親が離婚したことを私が話すと、
「あ、そうなんだ」
と言いながら、彼は、他の話題を話すかのように戸惑ったような、
こんなこと聞いてごめんとでもいうかのような、
あれこれ言葉を模索するような落ち着かない態度になった。
それが、彼の優しさ故なのだと気付いたのは、
それから数ヶ月後、彼と色々な話をしてからだった。
彼は私と同い年だというのに地方の実家に仕送りをしていて、
両親の誕生日の月や、ちょっとお金が多く入った時には
「これでお父さんのビールでも買って。」
と、ビールを1ダースくらい買えるくらいのお金を余分に送ったのだと言う。
もう何十年も立ち仕事を続けている母親には、
誕生日に足の疲れをほぐす電化製品を送ろうと考えているのだとか。
それ以外にも
「風邪がはやってるから風邪に気をつけてね。」
とわざわざ私に言ったり、
「明日はお休みなんだから思い切りお酒飲んでおいで。」
と私を送り出したり、
他人の私に色々気遣い、細やかな気配りをし、思いやってくれる。
周囲の人々をこれだけ思いやれる人が他にいるだろうか。
そう考えたとき、
私は、
彼はきっと家族の中で苦労してきたことが多くて、
そのぶん人のことを色々気遣うことができて、
とりわけ家族とか親とかそういうことに敏感で、
だから私の両親が離婚していると聞いた時には、
あんな風に不器用なまでにうろたえてしまったのだろうと思った。


 

ばななと元旦

  2010年のスローガンは「誘いは断らない」だったので、
2011年もスローガンをかかげることにした。
「実現する」。
それが、今年のスローガンです。
 

  今年は私も25歳になるわけで、
なんだかもう  すっかり実感がわかないのだけど、
でも、それは紛れも無い事実なのである。
25歳なんて、
成人して5年目、
たとえば会社で5年目なんていうと、それはもう立派な経歴で、
仕事のだいたいのことを覚えて自分のやりかたで色々と成果も出せるような、
それくらいのキャリアである。
だから25歳なんて言うと、もう立派な大人、
人生を謳歌しようじゃないか、という年齢である気がする。 


  だから  くすぶっているなんて勿体ないなぁと思うのだ。
ぱっと華開くような、
そんな年にしたい。

  
  それはそうと、初めてよしもとばななの本を読んだ。
国語国文学科で日本文学の勉強をしていながら
よしもとばななも読んだことがなかっただなんて、恥ずかしい話だ。
今ではヨーロッパに住んでいる外国人だって、読んでいる。


  ぽわんと柔らかい文章でありながら、芯があって、
上手く言葉にはできないけれど、
あぁこれは世界的な作家になるよなぁと思った。


  近年、読みやすい柔らかい文章を書く女流作家が多い。
とくに若い女性の作家は、
現代の口語に限りなく近い文体で、若い人にも親しみやすい文章を書いている。
よしもとばななの文体もそれに近いのだけど、
だけど  どこかに正統派の文語の匂いも感じさせる。


  私は多分、普段話したりしている分には、
こういう  ぽわんとした印象を与えているのだろう。
だけど、文章はと言うと決してぽわんとした柔らかさはないように思う。
江國香織唯川恵のような艶も、みずみずしさもない。
いつか似ていると言われたことがあるのは、
角田光代山田詠美などだった。
「彩乃ちゃんは、切りかかるような、鋭い文章を書く」
とも言われたことがある。
鋭いというのは、思想や意見にキレがあると言うよりかは、
選ぶ言葉の角ばった感じを表しているのだと思う。 
私は、自分のそんな文章が好きだ。
うまいか下手かという点においては、
下手だなぁと思うし、自分の文章を好きだとはとても言えないのだけど、
文体の淡々とした感じは、好きなのだ。
自分で言うのもなんだけど。


  去年一年、私は、心のどこかで恥ずかしいなぁと思いながら生きていた。
久しぶりに会う人たちに自分の仕事を話すたびに、
「あぁ、なんだかなぁ。」
とふがいない気持ちになっていた。
それは、思うように就職できなかったからとか、
中小企業の小よりの会社に入ったからではない。
好きだったこと、自分にはこれしかない、と思っていたものに対して、
ろくな努力もしないで逃げ回った結果、
いま、自分がここにいることを恥じていたのだと思う。
ものすごく頑張って、努力しても、それでも思うような結果を得られず、
ワイン売りをしていたのなら、まだマシだった。
何にも頑張らないでワイン売りを選んだ自分が、恥ずかしかったのだと思う。


  10月以降、そんな私に助走期間を与えるかの如く、
昔の自分を思い起こさせる出来事が立て続けに起きた。
あぁそういえば私はこんなことが好きだったんだ、
自分にはこれしかないと思い込んでいた物が私にもあったんだ、と、
色々な人に出会う中で、
自分自身を取り戻したような気がした。
そして年末に、高校の時からの友人の芝居を観に行った。
彼女の高校時代を彷彿させる役柄だったせいか、
彼女と出会った時のこと、
「役者なんてうさんくさくて好きじゃない。
 でも自分にはこれしかないんだという気もする」
と書いてあった彼女からの手紙や、
彼女が今所属している劇団の面接の前の晩に電話で話したことなどを
思い出した。
私だけが止まっていた。
彼女が劇団に入ってからの、
私には想像もできない6年という年月について考え、
私は、止まってしまっている自分自身について考えずにはいられなかった。


  だから、今年は、「実現」の年にしようと思ったのだ。

いま、まさに、この場所で

  役者をやっている友人がいる。
彼女が所属する劇団が、低予算で実験的な公演をするということになり、
私の知り合いの映像研究をしている男性に、ビデオ撮影のオファーがかかった。


  彼女と彼は、
私がいなくたってそのうち知り合っていたかもしれないけれど、
たまたま私が、知り合うきっかけを作った。
大学の授業で知り合ったばかりだった彼を誘って、
彼女が出ていた芝居を観に行ったのだ。


  それから何ヶ月も経たない頃、
彼が何かのアルバイトで芝居のビデオ撮影に行ったら、
たまたま彼女がそこに手伝いに来ていて、再会した。
「偶然会ったよ!」
と彼からわざわざメールが来たのを、今でも覚えている。
わざわざ私にメールをするくらい、
彼にとっても印象的な出来事だったのだろう。
私を介して知り合った人と、
私とは全く関係のない所で遭遇したのだから。


  それから三人でまた会ったのは、
彼女が公演のチラシ用の写真を撮らなくてはならなくなった時だった。
彼女が写真を撮ってくれる人を探していて、
私が、じゃあ彼は、と彼に連絡したら、彼が快諾してくれたのだ。


  そうするうちに彼と彼女が直接連絡を取るようになって、
そして今回、彼女は、
低予算の実験的な公演にあたり、映像の記録を彼に頼んだらしい。
そんなこと私は全く知らなかったのだけど、
彼から
「テープを替えるのを手伝って」
と連絡がきた。
私でよければ、ということで、私は彼の助手として参加した。


  彼はカメラを2台用意していた。
1台は固定カメラ。
私は、このカメラのテープを交換するために呼ばれたのだ。
もう1台は彼が動かし、表情をアップにしたりしながら撮るためのものだった。


  座席の一番後ろで、
私は芝居を観ながら、
彼のカメラのモニターも時々見た。
広い舞台の一部分を切り取り、そこにフォーカスする。
私は、彼が切り取った一部分を見つめると同時に、
彼が切り捨ててしまった他の大部分も見つめると言う、
珍しい体験をした。
そして改めて、
写真や、映像を撮るということは、
今そこにある事実を撮っていながら、
もうすでに自分の意図や趣向を含めてしまう、
とても恣意的な行為なのだと感じた。
カメラという機械を自在に操り、そこにあるものを自分の作品に変える彼を、
私は羨ましく思った。
あぁ私もこんな風に、何かを想い通りにつくれたらいいのにと思った。

 
  今まさにここで、作品が創られているのだ。
カメラを動かす彼を観ながら、うっすら、そんな感動を感じていた。


  考えてみれば私は、
彼が創りあげた作品を一度も観たことがない。
創っている途中の物は、何度も目を通したことがある。
作品の構想を聴いたこともある。
でも、そういえば、できあがったものは一度も観たことがない。
彼が創った物よりも、
彼が何かを創っているということそのこと自体に、興味があるのかもしれない。


  写真は、夏にこっそり撮ったものだ。
会社が夏休みの間、彼がサルスベリを撮りに行くのついていった時のものだ。

  

お酒

「この世からなくなってしまったら困るものって何?」
先日、人からこんなことを聞かれた。
随分おかしなことを聞くなと思ったけれど、
私は間髪入れずに、「お酒」と答えた。
その人は一瞬、驚いたような反応をした。
まさか24歳の女からそんな返事がくるとは、
思ってもいなかったのだろう。


  なんでそんなにお酒が好きなんですか、と聞かれたとしても、
答えに困ってしまうだろう。
好きなのだから、仕方がない。
好きであることに、理由なんてない。


  最近ぼんやりと、体ごとお酒に浸りたいと思うことがある。
飲む量は、前に比べればめっきり減った。
疲れているせいか、前よりも酔うのが早くなった。
空腹で飲めば、一杯でもう充分酔っぱらってしまって、ぽわんとする。
前はこんなことはなかった。


  酒量が減ったけれど、最近、前よりもお酒を必要とする気持ちが強くなった。
なぜだろう。
一日に一回は必ず、お酒を飲みたいなと思う。
昼も、夜も関係なく。
あぁ私はきっと、アルコール中毒になる要素を沢山もっているんだろうなぁと、
ぼんやりと思う。
だから、なるべくお酒を飲まないようにしたほうがいいんじゃないかとも、
最近思うようになった。


  生活に楽しみがないのだと思う。
多分、楽しめるはずのものは私のすぐそばに沢山転がっているのだけど、
それらを一つ一つ取り上げて楽しむことが、今の私にはできていないのだ。


  お酒は、とても手軽に、簡単に、楽しむことができる。
時間も使わず、考えることもせずに、楽しめる。
もうそんなことを言っている時点で中毒の傾向があるような気がしてならないのだけど、
思ってしまうのだから仕方がない。
これが私の、もっとも素直で、もっとも率直な意見なのだ。

  
  そして、ぼんやりとお思う。
なんか、寂しいな、と。
お酒くらいしか楽しみがないなんて寂しいなと思う。
そして、
寂しいからお酒を飲んでいるんだろうなとも思う。

「鳥よりも高く飛べ」

  荒木経惟の写真集で『空事』という作品がある。
  

  どういうふうに読むのだろう。
買った時から、思っていたことだった。


  その写真集を見つけたのは、確かセンター試験の直前の頃だった。
19歳の冬、渋谷のツタヤで偶然、見つけた。
出版されてから1年も経っていなかったその写真集を、私は、勢いで買った。
勢いで写真集を買えるほど、お金に余裕はなかった。
しかし、どうしても買わなくてはいけないような気がして、買った。


  『センチメンタルな旅 冬の旅』を彷彿させる写真集で、
写真も好きだったが、
巻末に載せられていた文章も好きだった。


  勉強、勉強、勉強、の毎日だった。
勉強していないと落ち着かない、なんて感覚は人生で初めてだった。
私は人が変わったようになっていた。
少し無機質になりかけた心に潤いを与えてくれたのが、『空事』だった。
運命的な出会いだったと言っても、過言ではない。


  23歳の春、
私は、あの頃何度も何度も読み返した『空事』を創った人と会った。
「あの写真集は、なんて読むのですか?
 そらごと、ですか、それとも、くうじ、ですか?」
聴くと、その人は
「どちらでもいいんだよ。」
と、答えた。それから、
「荒木さんは、絵空事(えそらごと)って言葉とかけて、そらごと、
 と呼ぶこともあるけど、
 特に決めてはいないね。」
と、付け加えた。


  その人に、写真集にサインをしてもらった。
「鳥よりも高く飛べ」
そんな言葉を添えてくれた。


  最近、荒木経惟の特集をしていた雑誌を買った。
日々の忙しさに追われ
買ったことを忘れて読んでさえいなかったのだけど、
今日やっと、少しだけ読んだ。
ふと、「鳥よりも高く飛べ」という言葉を思い出した。


  飛べるのであれば、今すぐにでも羽ばたきたい。
昔は、何か沸々と自分の中に沸き上がってくる物があっても、
どこにどう力を入れれば、それを外に放出できるのかがわからなかった。
だからいつも消化不良のような気持ち悪さを抱えていたけど、
今は違う。
自分の中に沸々と沸き上がってくる得体の知れない何かを外に生み出すために、
今、自分が何をしたらいいのかがはっきりと見える。
感情を持ち、思考することができ、あらゆる状況で取捨選択ができる点において、
私はきっと、鳥よりも自由だ。
今はただ、飛ぼうとしていないだけなのだと思う。

前髪を切る

  クリスマスを目前にして、
天皇誕生日の祭日の前日の今日、前髪を切りに行った。
それも、仕事中に。
なぜなら、どこのお店も忙しくてとてもアポイントなんてとれないからだ。
「今週一週間はどこにもアポ入れない」
と言い切った人もいた。


  午前中に秋葉原に行って一つだけ用を済ませた後、
美容院に予約を入れた。


  前回美容院に行ったのは、12月1日だった。
早めに仕事を切り上げ、7時過ぎに美容院へ行った。
何ヶ月ぶりかにパーマをかけた。
前髪にもほんのりパーマをかけたので、
「20日後くらいに前髪を切りに来て。」
と、高田さんに言われた。
普段はそんなこと言わないのに、珍しいなと思った。
だから今日、ちょうどいいやと、ふらりと前髪を切りに行ったのだ。


「久しぶりに短めにしようか。」
高田さんは言った。
「いいですよ。
 おまかせします。」
私は、いつものように言った。
会社に入るまで、私は高田さんに注文などほとんどしたことがなかった。
私よりも高田さんの方が、
私の頭や髪の毛のことをよくわかっていて、
私があれこれ注文するよりもよっぽどうまくやってくれるだろうと、
信じているからだ。
会社に入ってああだこうだと言うようになったのは、
営業職だからちょっと控えめにしておいたほうがいいだろうとか、
前髪が短いと部長に
「吉田は眉毛が薄い」
と言われたり、面倒だからだった。


  どんどん切られて行く前髪を見ながら、
「もう、なんでもいいや」
と思っていた。
私は本当は、短い前髪が好きなのだ。
長い前髪を斜めに流すのも、好きだ。
少し目にかかるくらいの長さで、重めに前髪をつくるのも好きだ。
そうやって、前髪に変化を出すのが好きだったのだ。本当は。
お金をもらって働くということが、
なぜ、髪型を規定するということになるのだろう。
ぼんやりと、そんなことを考えていた。


  初めて前髪を短くしたのは、高校三年生のときだった。
「パッツン」と呼べるくらいに短くしたのは、確か、
受験勉強が嫌だったからだ。
たいして勉強なんてしていなかったけど、
勉強をしなきゃいけないという状況がストレスで、
その鬱々とした状況を打破するために、前髪を短くした。
眉毛のはるか上で切りそろえられた私の前髪を見て、
何人かが驚いたが、高田さんは
「似合ってる」
と言った。


  前髪を短くしたら、視野が広がった気がした。
なぜだか心も軽くなった。
気持ちが晴れ晴れして、明るくなった。


  あのとき、なぜ、私は、
前髪を短くすれば心が軽くなるだろうなんて思いついたのだろう。
そしてそれは、想像した以上の効果があった。
体まで軽くなったような気がして、
心なしかいつもより足取りも軽く、歩く速度も少し早くなったような気がした。


  それ以来私は、気持ちが沈んでくると前髪を短くするようになった。
あるいは、
高田さんが前髪を短めにしたい、と言えば、
何のためらいもなくその提案に身を任せるようになった。
きっと、
人生の中で一度も前髪をパッツンにしたことがなかったら、
前髪を短くすることに抵抗を感じるだろう。
だけど、すでに私はもう何度も経験しているから、ためらわない。


  高田さんとの間で不思議なのは、
いつも、何だかタイミングが合うということだ。
髪を切ってもらいながら私が何気なく話したことが、
高田さんのプライベートでの出来事とつながって高田さんを驚かせたこともあった。
マッチ箱なんて流行ってもいなかった頃、
外でたまたま見つけた手作りのマッチ箱を高田さんにプレゼントしたら、
ちょうど高田さんも他の店でこじゃれたマッチ箱を何気なく買ったばかりだった、とか。
今年の夏、
入社してから初めて大きなクレームを受けて
そこのお店の担当をはずれなくてはいけなくなった時、
しばらく会っていなくて私の仕事のことなんて知りもしなかったのに、
高田さんから来たカードには
「仕事、ほどほどにね。」
と書いてあった。
なんで私がいま辛いことがわかるんだろう、と思った。
前からそうだった。
就職活動でつらかった時にも、
やっぱり、偶然、カードがきた。


  初めて前髪を短くしたあの時と同じくらい、鬱々としていた。
自分から
「短めにしてください」
と言わなかったのは、それは私が会社員になったからだ。
仕事のことなんて何も話していなくて、
最近私がどんな日常を過ごしているかなんて全く知らないのに、
高田さんが、私の前髪を短くしてくれた。

同業他社の人

  新宿方面にあるそのお店は、
トラットリアでもなければリストランテでもなく、
カジュアルなレストランなのかと言えば少し違う気もするが、
強いて言うならカジュアルなお店なのだと思う。
安くもなければ高くもない、中程度の、きちんとしたワインを揃えている。


  どういうわけかそこのオーナーは、私を気に入ってくれている。
ワインの知識や、営業マンとしては認めていないが、
人間としては面白いと思ってくれているようだ。
「君みたいな人はね、
 時代が良ければ、
 『あぁ君は面白いから何かワインを買ってあげよう』
 って言われるようなタイプだけど、
 今はそんなに平和じゃないからね。」
と、会うたびに言われる。
現に私は、その人の前でろくにワインを話をしたことがない。
させてもらえない、聴いてもらえない、というのが、実状だ。


  でも私がそこのお店が好きで、たまにお昼ご飯を食べに行くのは、
きっとその人が私のことを気に入ってくれているからなのだと思う。


今日はお店に入るなり、
「ほら、早く荷物を置いてシェフに会っておいで。
 シェフがあなたに会いたがっていたから。」
と言われ、
荷物を置いてキッチンへ行った。
「好きだって言うから、ティラミスを作って待ってたよ。」
と、シェフも言ってくださった。
カウンターの席に着くと、オーナーは茶化すように言った。
「そろそろ会社を辞めたくなってくるころでしょ。
 うちでソムリエをすれば?」
そして、
「可哀想だけど、あの会社、みんな頭悪いもんね。」
と、冗談ぽく続けた。
いつものことだ。


  営業マンとしては失格だと思うけど、
私は、そこでワインを売り込もうなんて気はさらさらない。
私がすすめたってすすめなくたって、買う時は買うし、
しかも残念ながら、今ある商品について私よりもその人の方がよっぽどよくわかっている。
私よりもよっぽど、私の会社のワインをよく飲んでいる。
初めて会ったときにオーナーからそういうことを宣言され、
私も私で、あぁそうだろうと、すんなり納得してしまった。


  売り込む代わりに、私はそこで、色々なことを教えてもらっている。
ワインのこと。
営業マンとしてのあるべき態度。
会社では誰も教えてくれないことを、その人が教えてくれる。


  今日は私がお昼ご飯を食べていたら、他社の営業マンがやってきた。
オーナーに
「この人は業界内でも有名な営業マンだから。
 業界全体で、五本の指に入るくらい、売る力もあるし、
 何と言ってもベテランで、名前を覚えておかなくてはいけない人だよ。」
と、紹介していただいた。
業界歴は15年くらいなのだという。
オーナーのすすめで、私は、彼が商談する様子を見させていただいた。
話を聞いているうち、私もそのワインが欲しくなってしまうくらい、説得力のある人だった。
ワインの魅力を伝えることはもちろん、
きちんと相手のニーズにも応えながら、
今買っておいた方がいいと言う駆け引きができる人だった。
社内で何人もの先輩に同行してきたけど、
こういう商談をしていた人はいなかったなと思った。
どちらかというと、私の会社の先輩たちは力技で売り込んでいるような印象だ。


  今日は他社の営業マンの商談を見る、という珍しい体験ができた。