同業他社の人

  新宿方面にあるそのお店は、
トラットリアでもなければリストランテでもなく、
カジュアルなレストランなのかと言えば少し違う気もするが、
強いて言うならカジュアルなお店なのだと思う。
安くもなければ高くもない、中程度の、きちんとしたワインを揃えている。


  どういうわけかそこのオーナーは、私を気に入ってくれている。
ワインの知識や、営業マンとしては認めていないが、
人間としては面白いと思ってくれているようだ。
「君みたいな人はね、
 時代が良ければ、
 『あぁ君は面白いから何かワインを買ってあげよう』
 って言われるようなタイプだけど、
 今はそんなに平和じゃないからね。」
と、会うたびに言われる。
現に私は、その人の前でろくにワインを話をしたことがない。
させてもらえない、聴いてもらえない、というのが、実状だ。


  でも私がそこのお店が好きで、たまにお昼ご飯を食べに行くのは、
きっとその人が私のことを気に入ってくれているからなのだと思う。


今日はお店に入るなり、
「ほら、早く荷物を置いてシェフに会っておいで。
 シェフがあなたに会いたがっていたから。」
と言われ、
荷物を置いてキッチンへ行った。
「好きだって言うから、ティラミスを作って待ってたよ。」
と、シェフも言ってくださった。
カウンターの席に着くと、オーナーは茶化すように言った。
「そろそろ会社を辞めたくなってくるころでしょ。
 うちでソムリエをすれば?」
そして、
「可哀想だけど、あの会社、みんな頭悪いもんね。」
と、冗談ぽく続けた。
いつものことだ。


  営業マンとしては失格だと思うけど、
私は、そこでワインを売り込もうなんて気はさらさらない。
私がすすめたってすすめなくたって、買う時は買うし、
しかも残念ながら、今ある商品について私よりもその人の方がよっぽどよくわかっている。
私よりもよっぽど、私の会社のワインをよく飲んでいる。
初めて会ったときにオーナーからそういうことを宣言され、
私も私で、あぁそうだろうと、すんなり納得してしまった。


  売り込む代わりに、私はそこで、色々なことを教えてもらっている。
ワインのこと。
営業マンとしてのあるべき態度。
会社では誰も教えてくれないことを、その人が教えてくれる。


  今日は私がお昼ご飯を食べていたら、他社の営業マンがやってきた。
オーナーに
「この人は業界内でも有名な営業マンだから。
 業界全体で、五本の指に入るくらい、売る力もあるし、
 何と言ってもベテランで、名前を覚えておかなくてはいけない人だよ。」
と、紹介していただいた。
業界歴は15年くらいなのだという。
オーナーのすすめで、私は、彼が商談する様子を見させていただいた。
話を聞いているうち、私もそのワインが欲しくなってしまうくらい、説得力のある人だった。
ワインの魅力を伝えることはもちろん、
きちんと相手のニーズにも応えながら、
今買っておいた方がいいと言う駆け引きができる人だった。
社内で何人もの先輩に同行してきたけど、
こういう商談をしていた人はいなかったなと思った。
どちらかというと、私の会社の先輩たちは力技で売り込んでいるような印象だ。


  今日は他社の営業マンの商談を見る、という珍しい体験ができた。