トマトジュース

  落語に行きませんか、と岸野さんにメールを送ったら、
2日後に
「あやの元気ですか?」
と、返事がきた。
その日は仕事なので行かれないとのことだったが、
それよりも何よりも、メールの一番最初に
「あやの元気ですか?」
と書かれてあったものだから、何だか不意をつかれたように、
私は何故だか悲しくなってしまった。


  元気ですか、くらい誰だって当たり前のように言う言葉で、
少し分別のある大人なら誰だって、
久しぶりに連絡をする相手にはこれくらいのことを特に何も意識しないで言うものだ。
ミソは「あやの」と最初に名前を呼ばれたことだろうか。

  
  岸野さんのお店が改装されて広くなって、
前にも増して忙しくなったらしいよ、という話を人から聞いていた。
「岸野さん、メガネがずれててもそのまま接客してるくらい大変みたいだよ」
と、ある人から言われ、
「接客業なんだから、人から見られているということを常に意識するように
 言ってあげてください」
と私も適当に返事をしたが、内心、心配だった。
だって、いい大人が、
メガネがずれているのも直さないで人前に立っていられるなんて、
普通の神経じゃない。
人の目も気にならないくらい色々なことに構わなくなってしまうなんて、
よほど仕事が大変で、疲れているに違いない。


  そんな、メガネがずれたまま接客をしているような状態の岸野さんが
「あやの元気ですか?」
なんて言うものだから、私はもう胸が苦しくなって、
岸野さんをいたわらずにはいられなかった。
しかし「忙しいらしいですね」とか、「疲れてないですか」
などと言ってはいけないと思い、
こう、返事した。
「お店、広くなったらしいですね。
 何かと大変かとは思いますが、
 トマトジュースでも飲みながらがんばってください。」
と。


  言葉とは、それを使う人、
あるいは使う相手によって固有の意味を持つ場合がある、
という話を思い出していた。
何も知らない人が読めば、意味のよくわからないメールだろう。


  岸野さんはトマトが何よりも好きで、
一時期はカゴメに転職しようかというくらい、
真剣にカゴメという会社について調べていたらしい。
ある夏は色々なブランドのトマトジュースを飲み比べることに凝っていたし、
市販のトマトジュースについては右に出る者はいないくらい
それぞれの特徴を明確に挙げながら違いを説明してくれた。


  疲れているだろうけど、
大好きなもので心を潤しながらがんばってください、
ささやかな喜びを感じて疲れを癒してください、
ということを、私は言いたかったのだ。
そして、岸野さんはきっとそれをちゃんと読み取ってくれるだろうと思った。
きっとこういうものを、信頼関係と呼ぶのだと思う。


  返信した後、もう一度、岸野さんからのメールを読み返した。
私の携帯の小さな画面に入りきるくらい短いメールなのに、
何だかとても苦しくなったのは、
もしかすると、
「あやの元気ですか?」
という冒頭の言葉ではなく、最後の
「また連絡してね」
という言葉のせいだったのかもしれないと思った。