鳥南蛮

  土・日になると、お昼ご飯に誘ってくれる記者の人がいる。
年齢は知らないが、きっと定年もそう遠くはない。
会社の周りの美味しいお店やこじゃれたお店に詳しく、
その日の気分に合わせてカレーや、定食、ピザなどを食べにいく。


  今日は何がいい、と聞かれ、お蕎麦がいいです、
と言うと、
会社から少し離れた、こじゃれた蕎麦屋につれていってくださった。
雰囲気が良く、夜はお酒を飲みにくるお客さんが多そうなお店だった。
私はとり南蛮を食べたのだけど、
手打ちの蕎麦といい、ダシが良くとれている感じ、鶏肉の歯ごたえ、
何もかもが美味しかった。
弱ってしまっていた体にじんわりとしみた。


  自粛、自粛、と経済が停滞してしまっている。
「この店も、地震が起きる前は繁盛してたんだよ。 
 いつもほぼ満席だった。」
その人は店内を見回しながら言った。
客は、私たちだけだった。


  お昼ご飯を食べたあと、
「まだ時間があるからチーズを買いに行こう。」
と言われ、誘われるがまま、有名なチーズ屋に言った。
雑誌でチーズ特集などをすると、だいたい取り上げられているお店だ。
その人がいつも買うというカマンベールとブルーチーズを混ぜて作ったドイツのチーズを、
私の分も買ってくださった。
その後、
「このチーズを買ったら、次はこのパン屋に行くんですよ。」
と、その人が近くのパン屋に入り、
塩バターパンを、これもまた私の分も買ってくださった。
「いつもこのくらいの時間にくると焼きたてなんだけどな。」
とその人は言いながら、
一つの袋にパンとチーズをまとめて、
私にくださった。
「パンは少し温めてから食べると美味しいんだよ。」
と、その人は言った。


  夜、言われた通りにパンを温め、チーズを塗って食べたら、
本当に美味しかった。
私はいつもチーズは少なめにするのが好みなのだけど、
いつもより少し多めに塗って食べたくらい、美味しかった。
もともとブルーチーズは好きだったのだけど、
カマンベールはそんなに好きじゃなかったが、
この二つが混ざると何とも言えない滑らかだけれど塩味がきいたチーズになっていて、
美味しかった。


  美味しい食べ物を愉しむ、ということはとても豊かなことだ。
お金もそうだけど、
やはり、愉しむことのできる心がなければ、それは成立しない。
私よりも人生経験が長くて、美味しいものを沢山知っている人から教えられた
美味しいものを食べるということもまた、贅沢なことだ。
たとえば、ちょっといいオリーブオイルを使うとか、
ちょっと美味しい塩でサラダを食べるとか、
そういうささやかな愉しみを大切にしていきたいと思った。
そんなことをしみじみ思うようになったのは、
正社員を辞めて社会的に安定した地位を失って、
それと同時に収入も随分減って、
自分にとって本当に大切なことはなんなのか、
日に一度は考えるようになったからである。