都会のナイスな商社

 「仕事、辛くない?
  大丈夫?」
朝、編集長が声をかけてくださった。
午前中、まだ記者の人たちが出社していないような時間帯に、
たまに編集長が話しかけてくれる。
「大丈夫です。
 ありがとうございます。」
「吉田さんが来てくれたときからさ、本当にいいのかなと思ってたんだけど、
 都会のナイスな商社で働いてたんでしょ。
 良かったの?辞めて。」
「はい。
 未練も何もありません。
 本当に辞めて良かったと思ってます。」
「いや、吉田さんしっかりしてるしさ、もったいないんじゃないかと思って。」
「いえ、本当に、ずっとこの会社に入りたくて、
 実は会社説明会にも参加して、編集長のお話も聴いていたんです。 
 だから本当に、今、満足しています。」
私が言うと、編集長は言った。
「そうだったの?
 なんだ、もったいないことしたなぁ。」


  実力が足りなかったんです、
などと私は返事をしたけれど、
こんなに嬉しいことはなかった。
「もったいないことをしたなぁ」。
これ以上の褒め言葉があるだろうか。
たとえどんな雇用形態だろうと、この会社に来た甲斐があるというものだ。
    

  実力が足りなかったのは確かで、
私は今でも入社試験の問題をいくつも覚えているのだけど、
「右図のような西高東低の気圧配置の天候が多く見られる季節は、  
 春夏秋冬のうち、いつか」という、
図を見ながら回答する問題もわからなかったし
(こんなの、中学生だってわかるのに、私はわからなかった)、
ボニョの舞台になった場所の地名も答えられなかったし、
『乳と卵』の作者だってわからなかった。


  どこに行っても、自分次第なんだよ。
いつか、高田さんに言われた言葉を思い出した。
早稲田に入りたい、早稲田に入るんだ、と思い込んで一年の浪人生活を経て、
第一志望だった第一文学部の入試の日、
思うようにいかなくて泣いてしまった私に、高田さんはこう言ったのだ。
たとえ吉田さんが早稲田に受からなくて他の大学に行くことになったとしても、
そこから先の人生がどうなっていくかは、
吉田さん次第なんだよ。
もしかしたら、早稲田に行っていたよりも輝くかもしれないし、
長い目で見て、早稲田に行けなかったのは残念だけど、
でも自分にとっては人生がこうなって良かったんだと思うようになるかもしれない。
どこに行っても、自分次第なんだよ、と。


  出版社を目指して就職活動をして、
結局どこの出版社もうからなくて中小企業の、
どちらかというと小企業に近い商社に入社して、  
一年も働かないうちに退職してしまった。
社会問題とされている就職難、若者の離職率の増加、
どちらにも該当している私は、
様々な問題を抱えながら現代社会を漂流する若者の一員であることは間違いない。
だけど、それがこれから先どうなるかは、
やっぱり自分次第なのだろう。
このままで終わってたまるか。
いつも、私は、そう思っている。