松山へ

  一年前の今日、私は、松山に行った。
前の晩に急に思い立って、朝になるのを待ち、
朝になると同時に仕度をして新幹線に乗った。


  前の晩は、アルバイト先の人たちが送別会をしてくれた。
岸野さんがフェデリコ・フェリーニの『道』のDVDをくれて、
送別会から帰ってきた後、1人、部屋でそれを観た。
「俺の好きな映画なんだけど、
 イタリア映画で、
 あやのはイタリアに関係のある会社に入社するから」
という岸野さんの言葉を、思い返しながら。


  ジェルスミーナという少女は、
病気で亡くなってしまった姉のかわりとしてザンパノに買われる。
ザンパノから仕込まれた大道芸を従順にこなしていく彼女だが、
奔放なザンパノに付き合いきれなくなり、逃げ出す。
自分の力で生きていくと決めたものの、行く宛もなく街をさまよっていると、
ザンパノが彼女を迎えにくる。
再び彼女とザンパノの旅が始まるが、
あることがきっかけでジェルスミーナは病気になり、ザンパノは彼女を捨て、
1人遠い街へと旅立ってしまう。
何年も経って遠くの街で、かつてジェルスミーナが愛した歌を耳にしたザンパノは、
歌を歌っていた彼女にジェルスミーナのことを尋ね、
ジェルスミーナが自分に捨てられた直後にこの家に拾われ、
まもなく死んでいたことを知る。


  映画は、深い悲しみに打ちひしがれるザンパノの姿を映して終わるのだが、
私は、まるで、自分はジェルスミーナのようだと思った。
かつて岸野さんと働き、そこを辞めてふらふらしていたところを、
岸野さんに拾われ、でも結局、岸野さんは違う街のお店に異動していってしまった。
ザンパノと違って岸野さんはサラリーマンなのだから、
お店が変わったら私のことももう関係ないのに、
異動してもずっと、
「俺にはあやのを雇った責任がある」
なんて言って気にかけてくれいたらしい。人づてに聞いた。
そう言えば、私がお店に入って半年経った頃にも、
「俺には、あやのをこの店に呼んできた責任がある」
なんて、私に言ったことがあった。


  『道』を見た後、私はいてもたってもいられなくなって、
何だか無性に悲しくて、
それで、松山に行ったのだ。
旅に出るための口実が欲しくて、
それで、お墓参りにいくということにした。
松山の遠さが、ちょうどよかった。


  たぶん、岸野さんは人の面倒を見るのが好きなのだ。
それも、ちょっと危なっかしいものほど夢中になる傾向があって、
根無し草のように私がふらふらしていたことに対して、
続けることの大切さを伝えようなんて、自ら目標を掲げてしまったのだと思う。
どんな理由であれ、人から気にかけてもらえるというのは心地よいことで、
私は、岸野さんに気にかけてもらえているのだと言うことに甘え、
そこに安心感を覚えながら働いていた。
卒業して、他の会社に入って、
岸野さんとはもうまるきり関係なくなってしまうのだ、
自分を気にかけてくれる人がいなくなってしまうのだ、と思ったら、
悲しくて、寂しくて、やりきれなくなった。


  入社後も、何度も私は寂しくなった。
仕事で理不尽なことを感じたり、
誰も助けてはくれないのだと心細さを感じるたび、
心のどこかで、岸野さんとともに働いていた自分を懐かしく思っていた。
あぁ自分は本当に甘えていたのだと、つくづく実感した。


  私が会社に入ってからもずっと気にかけてくれていたのだと気付いたのは、
辞めることが決まった日だった。
「最近、コンビニとかでワインの裏を見ると、
 あやのの会社の名前を良く見るようになったなぁと思ってたんだよ」
と、言われた。
まるで、親のような人だと思った。
私は、また、悲しくなった。
理由は何であれ、岸野さんがせっかく続けることの大切さを教えてくれたのに、
わずか十ヶ月で会社員を辞めてしまったなぁと。
裏切ってしまった気がした。