親子

  大地震から三日目。
  仕事中、母から電話がかかってきた。
今晩みんなでごはんを食べることにしたが、帰宅は何時になるのかと。
八時か、九時くらいになるだろう、と答えた。


  我が家は最近ではみんなばらばらに食事をとっている。
それぞれ帰宅時間が全く違うし、
私や弟が、家で食べたり、外で食べたり、変則的だからだ。
いつ東京も大きな地震に見舞われ、
避難所生活を余儀なくされるかわからない。
だから今日は、みんなで美味しいごはんでも食べておこう。
そういうことなのだろうと、私は勝手に解釈した。
多分間違いはないだろう。


  みんな、と言えば、私と母と弟が入っていることは確実で、
私はそこに、父が入るのだろうと思っていた。


  大地震が起きた金曜日の深夜一時半頃、父に電話した。
ぼろぼろの小さなアパートに住んでいるから、
もしかしたら家がなくなっているかもしれない。
あるいは、たまたま変な所にいて、怪我でもしたかもしれない。
様々なことを考えながら電話したが、体も家も無事だったようだ。
「ママとか、一喜とか、みんなにすぐ電話したんだけど、
 なかなかつながらなかったなぁ。」
父は言った。
父のその言い方はあまりに屈託がなさ過ぎて、
だからこそかえって私は、胸が締め付けられるような苦しい想いになった。
あぁ父にとって、
災害があってまっさきに電話をするのは私たちなのだと、
知ってしまったからだ。
父と母が離婚してもう二十年も経つ。
父には他に女の人がいて、子供もいて、
うちを出て行った後、そこを家族としていたこともあったのに、
今の父に残っているものは、私たちなのだと。
しかし父はそんなこと、深く考えていない。
そういう人なのだ。
人との付き合いにおいて、損得勘定などまったくないし、
何より面倒なことが嫌いだから、いつも楽な方に楽な方に流れていく。
何かを激しく求めることもしない。
そんな父が無意識に選びとったのが、私たちの家族だったのだ。
私は胸が詰まって、それ以上電話を続けられなくなり、
「何か困ったら、電話して」
などと適当な言葉を言って切ってしまった。


  私はあの日の夜のことを思い出しながら、
今晩父が家に来るとしたら
家でみんなでごはんを食べるのは三年ぶりくらいじゃないか、
などと考えながら仕事をしていた。
夕方になって母からメールが届き、
いま母が付き合っている人と、その息子がうちに着いたと連絡が入った。
あぁそうかと思った。
世の中がこういう事態に陥って、
最後の晩餐になるかもしれない時間を共にするのは、
母にとって、いまは、この人なのだと思った。
私はその人が嫌いではないし、
毎週土曜日にうちにくるたび、一緒に珈琲を飲み、様々な話をする。
だけど、
こう言う事態に陥っていて、
父親でもない人と、その息子と、私たち家族とで鍋を囲むなんてことは、
私にはどうも違和感があって、とてもできないと思った。
母は、好きにしてくれて構わない。
母が誰と付き合おうと、結婚しようと、私は、何も言わない。
戸籍上、母が誰かと結婚すればその人は自動的に私の父親となるわけだけど、
でもそれは、紙の上でのつながりなだけであって、
血は変わらない。
たとえ母が何人の人と結婚を繰り返そうと、
私の父はずっと、1人。
父は変わり得ない、血も変わらない。
そういう事実があるから、私は母の結婚相手に関して無関心でいられる。
母が、この非常事態の中で、その人とごはんを食べることだって、
母にとっていいことであるならば、それでいい。


  だけど私は遠慮した。
「今日は震災の資料集めで残業になり、帰る時間の目処がたちません。
 申し訳ありませんが、みんなで先に鍋を始めていてください」
とだけ、メールを送った。
確かに少し残業したけれど、急いで帰れば、鍋の最後の雑炊くらいは間に合っただろう。


  渋谷で途中下車して、
前の仕事の時に担当していたお店に寄った。
前からたまに、夜、1人でごはんを食べに行っていたお店だ。
お店の人と他愛もない話をしながら、
ぼんやりと、父のことを想っていた。
そして、今日私が遅く帰った本当の理由を知ったら、
母は傷つくのだろうなとも想った。
「家に食べ物がないらしくて。
 ここは、食材がちゃんと調達できてるんですね。」
などとお店の人と話しながら、
誰にも本当のことを言わない自分のことについても、考えていた。