大震災

  地震が起きた時、会社にいた。
「あぁ、揺れてるねぇ。」
なんて最初のうちは周りの人が呑気に言っていて、
「あれ、長くない?」
などと言いながら皆が周りをきょろきょろし始めているうちに、
揺れが段々大きくなって、高い所の資料などがばたばたと地面に落ちてきた。
みんな机の下に隠れるのではなく、
自分の机の上に高く積まれた本や資料を一生懸命抑えていて、
ある女性の編集者だけが、
ささっと机の下に隠れていた。


  私はと言うと、この古びたビルが倒壊して、
私はその瓦礫に埋もれてしまうのだろうかなどとぼんやりと思いながら、
なぜか天井を見つめていた。


  地震がおさまると、
皆がぞろぞろと集まってきて、
どこに取材に行くか、どこに写真を撮りにいくかなどの打ち合わせを始めた。
九段下の方で何か大きな倒壊があったらしい、など情報もあった。
編集長の目がいきいきとして、
どんな紙面にするか、など、ちょっとわくわくしたように打ち合わせをしていた。
さすが編集長、と思った。


  電車が走っていないということで、
庶務の女性たちは歩いて帰ると言い出した。
会社に泊まってもいいと言われたが、皆は早く帰りたかったようだ。
私は、ネットで調べたらなんと徒歩だと四時間半もかかるとのことで、
「自転車買った方がいいよ。」
などと、専属のバイク便の男性に言われたが、
なんせ私は自転車に乗るのが下手なので、バスを乗りついで帰ることにした。
編集長や重役の方が
「吉田さん、遠いよね。
 大丈夫?」
などと、心配してくださった。


  バス停ではバスを二時間も待った。
二時間待つ間に、
待ちきれなくなった人がどんどん列から出て行って、
列はどんどん短くなり、
残った人たちの間には一種の連帯感のような物が生まれて、
最初は目も合わせないで並んでいたのに、
少しずつお互いに言葉を交わすようになって
「もう少し待ってみましょうか。」
とか、
「どちらまで帰られるんですか?」
なんて話をするようになった。
私はもう足先が低体温証のようになっていて、感覚がなくなり初めていた。
バスが来た時にはバス停に拍手が沸いて、
皆、不思議と心が温まったようになった。
六時頃に並び始めて、バスが来たのは八時。
風も強く寒さも厳しかったこの状況でよく頑張った、と自分で思った。


  バスに乗り、都会の街を眺めた。
50人に1人くらいの割合で、ヘルメットをかぶって歩いている人もいた。
横断歩道も人で一杯で、まるで初詣のように人が溢れかえっていた。
道も大変な渋滞で、
いつもは一時間弱くらいで到着できる場所まで、
3時間くらいかかった。


  11時頃に渋谷に着いて、そこからまた、バスに乗った。
大変な渋滞で、人も溢れていて、高速道路が閉鎖されていて、
246は車がびっしりと並んで少しも動けないような状態だった。


  なんとか家に辿り着いたのは、2時頃だった。
いつも乗っている、最寄り駅から自宅近くまでのバスは、
緊急対応ということで運賃をもらわずに運行していた。


  弟はテニスの合宿に行っていて、母は会社に泊まっていたので、
家に着いても私は1人で、
NHKなどを見ながら、1人で今日の震災について噛み締めた。
あまりにも事態が大きすぎて、
私には、うまく吞み込むことができなかった。
地震津波
三時過ぎのあの一時を境に、日本が、もう別の物になってしまったのだということ。
私にわかるのは、ただそれだけだった。
どうかわってしまったのか、
これからどうなっていくのか、
そこまでは、とても、考えが追いつかなかった。