元会社員

  あるデータをもとにエクセルで資料を作るように言われた。
比較できるよう一覧表にするのに加えて、
さらに、データを比べて勝っている方には網をかけてほしいとのことだった。
文字を打ち込み、指定した位置に印刷する程度には、
前の会社でエクセルをいじっていたので、
思っていたよりも早く作ることができた。
あぁ会社員をやって良かったなと、ぼんやりと思った。


  できあがった資料を編集長の所へ持っていくと、
「座って」と、椅子をすすめられた。
「どうですか、やっていけそう?」
と、様子を聞いてくださった。
「商社では怒られた?」
「はい。身勝手だと言われました。」
「それで嫌味言われて、辞めてきたんだ。」
「言われました。
 身勝手なことをしたので前の会社の社長が怒ってしまって、
 働く気のない人にいてもらってもお互いに無駄だから早く辞めてもらえ、
 ということで二月の半ばに退職して、
 こちらに来させてもらいました。」
「恐いなー。
 明日から来なくていいよ、っていう世界だ。」
と、編集長は笑った。


  一度でも会社で働いたことのある人なら、
いや、一度でも働いてお金をもらった経験のある人なら、
誰でも私のことを身勝手だと思うだろう。
「詐欺と同じ」だの「腰掛け」だの「膨大なお金を無駄にした」だの
言われて辞めてきたけれど、まぁ確かに私の行動はそうだ。
全く貢献しなかったわけではないけれど、
まだまだ研修中の身で
「どうしても出版社への憧れを諦めきれないので辞めさせてください」
だなんて、身勝手も甚だしい。
私は十ヶ月、会社からお給料ではなくお小遣いをもらっていたようなものだ。


  じゃあ最初から会社になんて入らないで、
どこかで適当なアルバイトをしながら
出版社の募集を探していればよかったんじゃないか、
と人は言うだろう。
でも私はどうしても、親の手前、正社員にならなくてはいけなかったし、
家計も補助しているから安定した収入が必要だった。


  もっと言うなら、一度でいいから正社員になってみたかった。
会社員をやってみたかったのだ。
三年は働く意志も、ずっとあったのだ。


  こんなことをしていても時間の無駄。
仕事に対して、そう思い始めたのはいつからだったろう。
出版社の採用情報をこまめに確認するようになり出したのは、
秋の終わり頃だった。
そして1月の半ば、
大学生の頃からどうしても入りたかった出版社で庶務の募集を見つけ、
今に至る。


  辞めて、新しい会社に入ってみて、
あぁ会社を辞めて良かったなとつくづく思うのだ。
若いうちは苦労するもの、
新入社員は思い悩むもの、
それでこそ仕事だと思うのだけど、
私はいらない苦労ばかりしていた。必要のないことに心を悩ませていた。
なぜ新人の私が、商品のクレーム対応に川口まで行かなくてはいけなかったのだろう。
なぜ会社の倉庫は、あんなに誤出荷が多かったのだろう。
倉庫がいつも間違った商品を客先に届けて、
怒られるのはいつも私だった。
いつも欠品のお詫びをした。
そうこうするうちに、
マーケティング部門や輸入管理部門があるにも関わらず、
営業が一番よく物の動き方がわかっているからなどという理由で、
営業が商品の輸入の管理をしなくてはならなくなった。
私ももちろん、あるブランドのワインに関して輸入の管理を任された。
仕事は増える一方だが、十時半から六時の間は外回りに行かなくてはいけない。
残業は増える一方。
挙句の果てに残業代は1円もつかない。
低賃金。


  辞めた会社の悪いことは書かない、言うまい、と思っていたけれど、
ここらで一度、私はやっぱり自分を正当化してもいいんじゃないかと思い、
今日で最後と心に決めてここに挙げ連ねてみた。


  わずか十ヶ月で正社員を辞めた、忍耐力のない若者。
そんな風に思われている気がして、悔しくて、
自分を正当化したくなったのだ。