入れ歯

  ガールスカウト活動をしている知人たちとご飯を食べた。
私を含めて四人で集まったが、
社会人になって以来すっかり足が遠くなってしまった私を除いて、
後の三人は今でも熱心に活動をしている。


  ガールスカウトの主な活動日は土曜日、もしくは日曜日。
仕事が変わって土・日も出勤することになり、
ますますガールスカウトに参加できなくなったので、
「私事ですが転職しました。」
などと連絡をしていた。


  まぁご飯でも食べましょう、と気楽に集まったのだけど、
心の温かい人たちだから、
一応、私の転職もお祝いしてくれた。
前の会社の面白い話なども彼女たちにはしていたから、
「最終日はマルコさんどうでした?」
などと聞かれたりした。
そういえば、と、
最終日の夜に60歳を超える某男性社員の入れ歯を目撃したことを思いだした。


  引き継ぎ書類を作り終えて帰ろうとした、十時過ぎ頃のことだった。
社内にはもう4人くらいしか人が残っていなくて、
彼の近くの席にはもう誰もいなかった。
「今までお世話になりました。」
と私が挨拶にいくと、彼は口をもごもごさせていて、
ふと机の上に目をやると、上下の入れ歯がころりと置かれていた。
大事な書類の山の中にころりと置かれた入れ歯はなんとも滑稽で、
それでいながら、
なんというか人間の一部がそこに剥き出しになっているような気味の悪さもあって、
見てはいけないものを見てしまった気がした。
「入れ歯!」
と言いそうになったのを必死でこらえて見て見ぬ振りをしていたら、
彼はもうすでにそこに入れ歯が出てしまっていたにも関わらず、
隠すように私に背を向けながら入れ歯を口にはめ、
「おつかれさん」
と、取り繕った。


  元上司はワインをボトルごとラッパ飲みしていたし、
クレーム対応の男性は入れ歯を外して仕事をしていたし、
何だかもう、すごい会社だったなぁと今となっては思う。
退職の意志を告げれば、「明日から来なくていい」と言う社長。
映画やドラマの中でしか起こらないだろうと思っていた出来事が、
私の身に次から次へと降り掛かった。


  まぁ私だって、あの頃は、
先輩から勧められば、
デスクで紙コップでワインを飲みながら仕事をしていたのだけど。
異次元だったのだ。