出張先からの電話

  職場で、変態、変態、と呼ばれている男性社員がいた。
彼の変態エピソードは数えきれないほどあるとのことだったが、
例えば既婚の女性社員にエレベーターの中で抱きついたとか、
ベランダでタバコを吸っていた女性社員にやはり抱きついたとか、
セクハラ発言なんて彼にとっては呼吸をするかの如く当たり前のものだった。
しかしながら彼はキャラクターのおかげで、
彼のそれらの所作の一つ一つもネタのように見えると言うか、
「気持ち悪い!」

「変態!」
などと笑いながら言って流してもらえるような、そんな存在だった。


  彼は小柄で、メガネをかけていた。
例えばそういう外見にはじまり、
変態、変態、と人に言われがちな所や、
それでいて頭の回転がよくって妙に真面目で常識っぽい部分があるところなどが、
私の知り合いのとんでもない変態に良く似ていた。
入社したばかりのときから、ずっとそう思っていて、
その先輩社員にも
「私の知り合いに似てます。」
などと、言っていた。
その知り合いとはもう連絡はとっていなかったけど、
今でも何となく私は彼が気になっていたから、
先輩社員に変態発言をされるたびに懐かしい気持ちになったりもした。


  その先輩は東北エリアを担当しているから出張も多かった。
夜に出張先から会社に電話して上司に一日の報告をするのが決まりなのだけど、
営業部にかかってきた電話は私がほとんどとっていたので、
彼からの電話もまず私がとることが多かった。
私が電話を取ると
「あぁ、彩乃?
 俺だけど。」
と、彼が言う。
そんな風に電話をかけてくるのは彼だけなので、
私も「○○さんですか?」と言うと、彼は
「え、なんで俺だってわかったの?
 やっぱり彩乃も俺のことが好きだから?」
などと言う。
「そうです、そうです。 
 それで、どなたに おつなぎしますか?」
「えぇ、もうちょっと話そうよ。
 それでさ、いつ結婚する?」
いつも、そんなやりとりをした。


  九月だったか、十月だったか、
社内一のイケメンと呼ばれる先輩と、その変態の先輩と、
入谷までサバの味噌煮定食を食べに行った。
イケメンと変態は仲が良く、プライベートでも飲みにいく仲らしい。
その時に、変態が会社を辞めるつもりであることを聞いた。
寂しいなぁと思った。
別に会社にいるからと言って、
一緒に何かをするわけではないし、
お昼ご飯を一緒に食べることだってサバの味噌煮の一回だけだったけど、
なんだか、いなくなってしまうのは寂しいなと思っていた。


  辞めるとか辞めないとか、
人事に関わる話はあまり人と話すものではないと思っていたので、
彼のその話について自分からは何も言わないようにしていた。
私の周りの若い社員たちは、
誰々はもうすぐ辞めるらしいとか、
あの女性社員も転職活動しているらしいとか、
はたまた他部署の部長ももうすぐフェードアウトするだろうなどと、
割とそういう話をしていた。
人のことなんてどうでも良かったけど、
その先輩が辞めるか辞めないかは気になっていたので、
例えばエレベーターの中とか、
帰りの電車でたまにその先輩と2人になると、
私はその先輩に
「そろそろ辞めちゃうんですか。」
とか、
「本当に辞めるんですか。」
などと聞いたりしていた。


  上司に迎合しないところや、淡々とした振る舞い、
会社の人とは一線をひいているところや、
なんとなく、いつも親近感を抱いていたのだと思う。
シュールなところも好きだった。


  三月末には辞めたいなぁなんて言っていたけど、
どうなんだろう、なんて一月末頃から思っていた。


  私が会社を退職することになり、
退職の前日に課長からチームのメンバー全員に
「急な話ですが、吉田さんが明日で退職します。」
と発表したあと、
デスクで仕事をしていたら、変態の先輩から電話がかかってきた。
山形に出張に行っていたのだ。
いつものように電話で話し、彼の上司に電話をつないだ後、
いつ辞めるんですか、本当に辞めるんですか、なんて聞いていたけど、
私の方が先に辞めることになったなぁと思った。
でも私はなぜか、自分からその先輩に
「退職します。」
と、言うことができなかった。