退職

  朝、上司を呼び出して、退職の意思を伝えた。
どこから話していいのかわからなかったが、ありのままを話した。
「私はずっと文芸の世界に憧れてきて、
 学生時代も出版社を中心に就職活動をしてきました。
 大学4年生の9月、10月まで、
 小さな出版社にも応募したりしてきて、それでもだめで、
 家の事情もあってこの会社に応募し、入社させてもらいました。
 ここで何年も働くと覚悟して入社しましたが、
 もうすぐ一年が経とうとしている今、
 やっぱりどうしても自分の好きだったことを諦めきれず、
 どんな形でもいいから一度でいいから出版社に入ってみたい、
 という想いになりました。
 そこで、勝手な話ではありますが、
 退職させてもらえないでしょうか。
 そのお願いをしたくて、今日はお話させてもらいました。」
確か、こんなようなことを言ったと思う。
その場で、思いつくままを滔々と話したので、詳細は思い出せない。
次が決まっていることも話した。
「差し支えなければ、次の仕事の詳細も教えて」
上司は言った。
時給、勤務時間、週に何日働くのか、どんな仕事内容なのか、
私は全て正直に話した。
「私は今まで吉田さんの家庭の事情も少し聴いていて、
 今は会社としての立場ではなく、あなたより長く生きてきた立場として
 率直に言うけど、
 それで、大丈夫?生活していけそうなの?
 よく考えた?」
上司は言った。
「はい、考えました。
 次の会社の面接でも同じことを聞かれました。
 今の仕事を続けていれば昇級もあるしボーナスもある。
 仕事を辞めればそれが全てなくなってしまい、
 お給料も減るけれどそれについてはどう考えているのか、と。
 その時に答えたことと同じことになるのですが、
 私は、時給と勤務時間から、だいたい自分が手取りでいくらいただけそうか計算して、
 その上でどう自分が生活していくかも考えました。
 確かに辛いです。
 でも、それでもいいから、どうしても出版社に身を置いてみたいんです。」
私は言った。


  そこからは、驚くほど話が早く進んだ。
直属の上司は、
「引き継ぎなどもあるので今月一杯はこの会社で働くつもりでいてください。」
と言って、
私もそのつもりで面接でも次の会社の人にはすぐには働けない旨を伝えてある、
なんて話をしていたのだが、
夜、上司に呼び出され、
「部長と社長に吉田さんの今回の話を伝えた結果、
 今週一杯ということになりました。」
と、伝えられた。
なんだか拍子抜けした。
その後、部長が後からその部屋へやってきて、
今回の私の身勝手な行動について部長がしばらく話を続けた。
15分くらい、話を聞いていただろうか。
おっしゃることの内容は正しいが、辛い15分だった。


  念願かなって自分の進みたい道へ進めることの清々しさはどこへやら、
私は反省や悲しさ、みじめさなどを感じながら、
かつて就職が決まった時のように、また、退職についても岸野さんに報告に行った。
岸野さんはただ黙って話を聞いていた。
一時間ほど前に部長の話を聞いていたときの重苦しさが私の中にまだありありと残っていて、
言われたことを全て岸野さんに話した。
岸野さんは慰めもしないし、部長に同調するわけでもないし、
やっぱり、岸野さんだった。
だからこそ、私はつい、この人に話をしたくなるのだろうと思った。
私は慰めてほしかったのではない。
ただ、聞いてもらえればそれで良かった。
会社に大変な迷惑をかけていることは、自分でもよくわかっていたからだ。
わかっていたからこそ、部長の言葉が辛かったのだ。
「最近、コンビニでワインの裏とかを見るたびに、
 彩乃の会社の名前をよく見るようになってきたなぁと思っていたのに。」
と、岸野さんは独り言のように言った。
もう何ヶ月も連絡をとっていなかったのに、
そんな風に気にかけてくれていたのかと想い、
私は岸野さんと別れて1人で歩き出した後、涙が出そうになった。


  仕事帰りに1人で行くことが多かったお店へ行き、
今週で退職することになったと店長に伝えた。
私が1人で営業に出るようになって初めて担当した70軒のうちの1軒で、
初めてワインを買ってもらえたのも、このお店だった。
「今までお世話になり、ありがとうございました。」
と私が言うと、
「まぁこれからも飲みにおいでよ。」
と店長は言ってくれた。
次はどうするのか、と聞かれ、
出版社で雑用の仕事をするようになるのだと話した。
店長の目を盗んでお店の人たちがどんどんビールをついでくれたので、
今までにないくらいお酒を飲んだ。
最後、いきなりお店の照明が暗くなったかと思ったら、
海援隊の「贈る言葉」が流れて、ケーキが運ばれてきた。
「おつかれさま」
と、お店の人たちに言われ、私はまたしても涙をこらえながら、
もらったケーキを食べた。  
たいした期間働いた訳でもなく、仕事の成果という成果もなかったが、
この人たちが今して私にしてくれていることが、
自分の仕事の成果なのだと思った。