千葉へ営業


  千葉県のレストランへ営業に行った。
今日初めての訪問だ。
住宅街の中にあって立派なワインの倉庫を持っているが、
とにかく遠いと先輩から聞いていた。
景気の良かった時代には、先輩が訪問したとき、
「遠くまでわざわざ来てくれてありがとう。」
と10万円近くワインを買ってくれたこともあったと言う。


  乗り換えが面倒で、1番乗り換えの少ない方法で調べた。
代々木から総武線千葉行きに乗り、終点の千葉まで行く。
これだけですでに1時間以上かかった。
千葉駅から更にバスに揺られること30分近く。
10時15分に会社を出て、
レストランに着いたのはだいたい1時くらいだった。


  せっかく来たから、とそこでランチもした。
きちんとした前菜と、ウニ風味のパスタ。
せっかくだから、とワインまで頼んでしまった。
おすすめのワインを出してもらった。
「自社輸入のワインです。」
と出されたワインは、イタリアのヴェネト州産、
ガルガーネガとトレッビアーノをブレンドしたものだった。
香りは儚いようで、しかしその繊細さが良く、
呑んでみるとまた微発泡ですっきりしていて、
繊細でいながら可愛らしい味わいだった。


  食事後、オーナーシェフに挨拶。
気難しい人だと聞いていたので、細心の注意を払いながら話した。
話していくうちに、
あぁ、この人は営業マンにワインのことを語られるのが嫌いなタイプだな、
と感じた。
「正直に言って、僕たちは毎日何本ものワインをあけていて、
 それを毎日飲んで味を見ているわけだから、
 営業の人はお店の人には叶わないと僕は思っているんですよ。
 だから、偉そうに語る人とか、僕は嫌いでね。」
と、その後、彼はそうはっきり言い切った。
いいのか悪いのかわからないけど、私にはまだ語るほどの知識はなく、
こういうシェフに出会った時には正直に
「私はまだまだわからないことが多いので教えてください。
 勉強はしていますが、まだまだ身に付いていません。」
と言うことにしている。
そうやって白状してしまえば、自分が楽になる。


「シェフに教えてほしいことがあるのですが」
「何?やだよ。」
と言いながら、シェフは笑った。
本当は嫌ではないことが、よくわかった。
「私、12月に初めてボーナスをもらうので、
 アマローネを買いたいなと思うんです。
 それで、いま市場に出ていて、私でも買えるもので、
 何を買ったらいいか、
 あるいはどういう風に選んだらいいか教えてください。」
と私が言うと、
「うちの倉庫から買って行けば?
 仕入れ値で売ってあげるよ。」
とシェフは言った。
仕入れ値で買えるとなると、お店で定価で買うよりはるかに安い。
「いいんですか?」
と言うと、シェフが早速メニューを持ってきてくださった。
ベルターニというイタリアの由緒正しいワイナリーのアマローネが、
年代ごとに並んでいた。
辿って行くと、なんと私が生まれた年の1986年のアマローネがあった。
「シェフ、
 私、1986年生まれなので、これ、買ってもいいですか?」
と聞くと、
「お、よかったね。
 じゃあそれだったら1万5千円でいいよ。」
と、言われた。メニューに出ていた金額よりもはるかに安い。
「わかりました。 
 では来月、ボーナスが入ったら1万5千円持ってまた来ます。」 
と、私も言った。


  ランチの時にいただいたワイン美味しかったです、
とシェフに伝えたら
「あれ、美味しいでしょ。
 前に大手メーカーが日本に輸入してたワインで、
 気に入ってずっと使ってたんだけど、
 そのメーカーが輸入しなくなっちゃったから、
 自社輸入することになったんだよ。」
と、シェフは言った。
そして、お土産に1本くださった。


  ミイラ取りがミイラになる、とはきっとこのことで、
ワインを売り込みに行ったはずの私が、
成り行きでワインを買う約束をしてしまった。


  ちなみにシェフに
「今日はワインは買わないよ。」
と早い段階で宣言されてしまっていたので、
敢えて今回は売り込みはしなかった。
多分、買う時は買うだろうし、
気難しそうな人なので、
初対面で図々しく売り込んだらシェフに嫌われて、
今後売れるはずのものまで売れなくなるだろうと、
そんな気がしたからだ。
「来月来てくれる時に、何か買うもの考えておくよ。」
帰り際、シェフは言った。
あぁ、不況だな。
そう思った。
先輩が行った時に10万円近くもワインを買ってくれたのはきっと、
時代が良かったのだ。
7年くらい前の話だ。

  
  アマローネとは瞑想のワインと言われていて、
飲むとその味の美しさにうっとりとせずにはいられない。
滑らかで、かつ香りが上品で、口全体に柔らかく香りが広がる。
イタリアのヴェネト州という地域のみで作られるが、
アマローネの二大生産者がベルターニとマアジと呼ばれている。
例えて言うなら、
カステラと言えば文明堂、というように、
アマローネと言えばベルターニと言っても過言ではない。
1986年のアマローネを買ったら、25歳の誕生日に飲もう。
帰り道、そう思った。
しかしながら、アマローネのように味わい深いワインは、
私の誕生日である5月の気候にはきっと重く感じられるかもしれないので、
もしも冬の間に何かとっておきの日がやってきたら、
その時に飲んでもいい、と思い直した。


  2時間近くかけて帰る道すがら、
電車の中から見えた太陽が美しかった。
夕陽になる直前、西に傾きかけた太陽だった。
人目もはばからず、思わず写真に撮った。