テニスラケット

  先日、味噌煮込みうどんを肉入りで作った。
肉は、私がアルバイトを辞める日に正面の自然食品のお店からいただいたものだ。
国産黒毛和牛。
とっておきの時に食べようと思いながら冷凍庫に保管したまま、
半年以上経ってしまっていた。
別にその日がとっておきの日というわけではなかったけれど、
今日はそれにふさわしい日だろうなんて思い込んで、
冷凍していた黒毛和牛を解凍した。
たまたま家にいた弟にも
味噌煮込みうどんを作ったけど食べる?」
なんて声をかけた。
普段は決してそんなことをしないのに、黒毛和牛が私にそうさせたのだ。
「何が入ってるの?」
「お肉。」
「じゃあ置いておいて。」
と言われ、器に移し替えた。
一人前しか麺を茹でていなかったので、お餅を焼いて、うどんのなかに入れた。


  珍しく一緒に昼ご飯を食べた。
弟と一緒に、私の作ったものを食べる。
私はそのシチュエーションに満足した。
「テニスのラケット、いくらくらいするの?」
「2〜3万。なんで?」
「もう何年も買ってないんでしょ。
 ボーナスが入るから、今度、買ってあげるよ。」
「いいよ。」
「もう何年も買ってないんでしょ。
 じゃあ、ラケット以外で靴とか、何か必要なものはないの?」
「今は欲しいのないから、欲しいのができたらでいいよ。」
「そんなこと言ってると、お金なくなっちゃうよ。」
「なくなっちゃってたら、それはそれで、いい。」
弟は言った。


  本当は欲しいものなら沢山あるのだと思う。
それを遠慮したに違いない。
ボーナスが入ると言っても私が薄給なのは知っていて、
家にお金を入れ、奨学金も返していて、お金がないと思っているのだろう。
だけど私はなぜか、
家にお金を入れるよりも弟のテニスにお金をかけた方が有意義な気がするのだ。
弟からテニスをとったら何もない。
でもそれは、幸せなことなのではないか。
これをとったら何もないと言えるほど打ち込んだものが、私にはあるだろうか。
残念ながら何もない。
だから、弟には、テニスを続けてほしいのだ。
別にそれが実を結ばなくたっていい。
大学を卒業したら全く関係なくなってしまってもいい。
でも、今途中でやめてしまったら、彼は一生そのことを引きずるだろう。
それくらい彼にとって価値のあるものに投資をすることは、
おいしい食べ物を食べることよりも、美味しいワインを呑むことよりも、
いい服を着ることよりも有意義な気がした。
だから私は、弟にラケットを買ってあげたいと思ったのだ。
生まれて初めてもらったボーナスで。

  
  そんな会話から一週間くらい経っただろうか。
私のパソコンを弟も使っているのだけど、
今日パソコンを開いたら、弟が使ったままの画面になっていた。
どこかのメーカーのホームページで、テニスラケットが沢山表示されていた。
そのうちの一つがクリックされたままの状態になっていて、
値段を見ると、3万円弱だった。
弟はこれがほしいのだろうか、と思いながら、メモもしないで閉じてしまった。
今思えば、品番などを控えておくべきだったのかもしれない。


  太宰治の『人間失格』の主人公を思い出した。
主人公は、父からお土産に何が欲しいと聞かれても、
欲しいものが浮かばず、上手く答えることができない。
他の兄弟たちは次々に自分の欲しい物を父に告げ、
父はそれを手帳にメモする。
父のせっかくの好意に応えられなかったことを気にした主人公は、
父の眠っている間に父の手帳を開き、こっそり「シシマイ」と書く。


  そんなことを思い出しながら弟の部屋をノックしたのだけど、
眠っていたのか、返事はなかった。