下北沢での出来事

  今日は文化祭だな、と思いながら布団を干していた。
11月3日は文化祭の日、とは幼稚園の時から刷り込まれてきたことだ。
私の学校の卒業生たちは、まるで同窓会のように、文化祭で集まるのが好きだ。
卒業して何年も経つ大人たちも、その日ばかりはまるで渡り鳥のように、
その場に集まってくる。
例え1人でそこに行ったとしても、必ず誰かしらに会うことができる。
そんな安心感がある。


  にも関わらず、そこに行かないことが平気になってしまったのは、
高校を卒業した直後の年からだ。
浪人していた頃、そこに行ったら自分はだめになるなんて思い込んで、
その年私は、16年ぶりに、文化祭に行かない11月3日を過ごした。
あの頃私は、わざと自分を孤独にしていた。
そもそも私は孤独な人間だったけど、私は、さらに孤独な人間になった。
誰かといたら甘えが出て、勉強ができなくなるだろうと思った。
孤独で、いつも自分を見つめていて、自分を律することができるからこそ、
今まで嫌いだった勉強に専念することができた。
そうでもしなければ、私は、早稲田に入れないだろうと思っていた。
今になってみれば、なんであんなに早稲田に入りたかったのかわからない。
若かったのだ。
そもそも頭も良くなかった。
中学生の頃私は、一途に作家を目指していて、いい作品を書くためには
様々な環境に飛び込み様々な経験を積むことが大事だろうと思い込んでいた。
そうしたら青柳先生が
「早稲田がいい。
 彩乃は、早稲田っぽい。」
と言ったものだから、馬鹿の一つ覚えのように早稲田だけを目指して受験に望んだ。
浪人までして大学に入れなかったらどうしよう。
そんな想いが、私をより孤独にさせた。
いい大学に入りたかったわけではない。
学歴に憧れたわけでもない。
意地だったのだ。



  その経験がきっかけになって、私は、文化祭に行かなくても平気になった。
大学時代、私は何回文化祭に行っただろう。
去年は、小原君に誘われたから行った。
その前の年は、覚えていない。
行ったかどうかも定かではなくなってしまう。
その程度になってしまった。


  そういうわけで今年も、
「あぁ今日は文化祭だな」
なんて思いながら布団を干し、昼間からお風呂に浸かっていた。
週の真ん中の水曜日。
そんな日に昼間っからのんびり過ごして、休日を満喫していた。
仕事柄、昼間からお酒を呑むことにも抵抗がなくなって、
お風呂を出た後、ベランダで日光浴しながらビールを呑んだ。
そうだそうだとジャッキーにメールして、
「今晩呑みませんか?」
と誘った。
「呑もう。」
と返事が来て、18時に下北沢で待ち合わせた。
下北沢と指定してきたのは彼女の方だ。
彼女のテリトリーなのだろう。


  下北沢と言えば思い出は沢山あって、
中高生の頃は遊ぶと言えば下北沢が多かったし、
文化祭の後に皆で焼肉を食べたのも下北沢だった。
大学に入ってからも思い出はある。
後に私が語り継ぐことになった変態との出会いも、下北沢の道ばただった。
下北沢の道ばたで唐突に出会った割には、割と深く、そして長く関わった人だった。


  感傷に浸りながら下北沢に向かうと、
駅前は学生で溢れかえっていて、
「あぁそうか!今日は文化祭なんだ!」
と改めて思った。
私は穏やかで静かな休日を過ごしていたけど、
この人たちは文化祭だからと盛り上がり、
そうして打ち上げをしに下北沢に集まっているのだ。


  下北沢を歩いていたらやはり友人に会った。
みんな、これから下北沢に集まるのだと言う。
聞くと、やはり昼間は文化祭に行っていたようで、
今年も皆は渡り鳥のように文化祭のこの時期にあの場所に帰ってきていたのだ。


  ジャッキーと下北沢で会う事自体が、私にとっては、回顧なのだ。
馴れ親しんだ土地。馴れ親しんだ友人。


  ジャッキーと下北の街を歩いていたら、偶然、大川先生に会った。
人ごみの中に大川先生を見つけたのは私だった。
「あ、大川先生!」
私が声をかけると、先生も
「おぉ!」
と驚いた。
大学に入学して以来の再会だった。
道ばたで30分近く話した。
「今の人たちは価値のあるものに飛びつこうとするんですよ。
 君たちもそうでしょう。
 でも、そうじゃないんですよ。
 今すでに価値のあるものに飛びついたって何の価値もない。
 価値のない所に価値を創り出すことに意味があるんです。」
と、随分大きな声で力説してくれた。
おおそうか、と私も目からウロコの気分で、
先生と別れてからもしばらく、ジャッキーと大川先生の話をした。


  それから私たちはタクシーで渋谷に移動して、お酒を呑み直した。
タクシーで渋谷に移動してその後ワインをボトルで頼んで、
分不相応なことしたけれど、
「今日はいいんだよ。」
というジャッキーの言葉にのせられ、
「そうだ、今日は特別なんだ。」
と思いながら、楽しくお酒を呑んだ。
「吉田ちゃん、明日は仕事なのに呑むねぇ。」
とお店の人に言われた。
今日を楽しめない人間が明日を楽しめるわけがない、なんて
心の中で思いながら、
「普段会えないジャッキーと会っているので。」
なんて返事した。


  帰りたいと思った。
でも本当は、帰りたいのではない。
また、そういう生活を自分で創りあげたいと思った。
「ぶーやんは、会社員に向いてないよ。」
とジャッキーに言われて、何だか無性に嬉しかった。
なぜ、そう言われることが嬉しかったのだろう。
今の私にはまだ、その気持ちを上手く言葉にすることができない。
ただ私は、
会社員に向いてない、
と言われて、本当に嬉しかったのだ。
安心した。