なんで、この会社に入ったの


  入社以来、数えきれないくらい聞かれてきた。
「なんで、この会社に入ったの?」
と。
社内ではもちろんのこと、問屋、レストラン、様々な所で聞かれた。
皆、口を揃えてこう言うのだ。
どうしてこんな会社に入っちゃったんだ、
あるいは、
早稲田卒でこんな会社に入るなんてどうしちゃったんだ、と。
「新卒でうちの会社なんて、勿体ないですよね。」
と、ある先輩がお客様の前で本音をもらしたこともあった。


  ここしばらく  そんな質問もされなくなっていたのだけど、
今日、初台のお店で久しぶりに聞かれた。
「なんで、この会社に入ったの?」
と。
ヨーロッパに興味があって、と答えると、
「ヨーロッパに興味があったって言ったって、
 何もこの会社を選ぶ必要ななかったんじゃないの。」
と、その人は笑った。
「じゃあ大学では何をやってたの。」
「日本文学です。」
「え……。
 僕、今なんとかつなげようかと思ったけど、
 ごめん、どうしても日本文学と君の今の仕事とを結びつけられなかったよ。」
と言われた。
「そうですよね……。
 お気遣い、ありがとうございます。」
なんて話をしたら、帰り道、その場に居合わせた先輩から
「吉田さん、お客さんに気を使わせちゃだめですよ。
 嘘でもいいから、今度から、
 なんでこの会社に入ったのか聞かれた時の答えを考えておいた方がいいですよ。」
と、言われた。
ごもっともです、と思った。


  だけど、今となってはもう、なんでこの会社を選んだのかなんてわからない。
そもそも、深い理由なんてなかった。
「ヨーロッパ」と「仕事」でヤフーで検索して出てきた会社に応募しただけだった。
面接でも志望動機を付け焼き刃で用意して、上手くごまかして話をした。


  仕事なら何でもよかったわけじゃない。
ただ、日がな一日パソコンに向かったり、お金の計算をしているよりは、
ワインのことを勉強できて食品に携われる仕事をできていいだろうな、と思って、
今の会社を選んだ。


  高校生の時だったか、大学生の時だったか、
美容師の高田さんと話していたとき、ふと高田さんがこんなことを言っていたことがあった。
「俺は、運良く好きなことを仕事にできた。」
と。
あの頃私は、願えば叶うものだと思っていた。
ただそこに向かってひたすらに思い続けているのなら、
いつか実を結ぶものなのだと信じ込んでいた。
だけど今になって思う。
世の中はそんなものではなくて、
いくら思っても叶わないことだって沢山あるし、
みんな意外と、違和感を感じながら生きているのではないのかと。
「自分の人生、これでいいのかな。」
と。
「これで正しいのかな。」
と。
高田さんの「運良く」という言葉の意味が、今になってよくわかる。


  ある人と話をしていて思った。
私は月に手取り16万円ちょっとの給料を得るために働いているのではない。
月に16万円ちょっとで、自分の時間と労力とを売っているのだ。