サルスベリ


  夏の花を撮りたいという知人に付き添い、サルスベリを撮りに行った。
サルスベリはどうも、夏を代表する花らしい。
サルスベリが夏に咲くことは知っていたが、
代表する、と言えるほど存在感のあるものだとは知らなかった。
考えてみれば、日本国内のそこら中でサルスベリを見かける。
もしかするとヒマワリよりもずっと多く存在しているかもしれない。


  サルスベリが夏の花だと私が知っているのは、
本や図鑑で学んだからではなく、
私の夏の記憶とともにサルスベリの記憶があるからだ。


  そもそも私は、サルスベリに花が咲くなんて知らなかった。
私の通っていた幼稚園にサルスベリの木があって、
先生が
「この木の名前、知ってる?」
と園児達に聞いた。
誰も知らなかった。
「木登りが上手な猿でさえも滑って上手く登れないほどつるつるしているから、
 サルスベリって言うのよ。」
先生は言った。
言われて木の幹にふれてみると、確かにすべすべしていた。
ごわごわしたり、ぼこぼこした他の木とは違った。
サルスベリ、なんて名前が子供にも親しみやすかったのかもしれない。
すぐに名前を覚えた。


  小学校にもサルスベリの木があった。
子供が何人も登ってぶら下がれるような大きな木で、
確かあの頃の学校案内のパンフレットに、
その枝に子供が三人くらいぶら下がっている写真が載っていた。
子供ながらに、
「あぁなんだ、サルスベリなんて名前のくせして、
 こんなに登るのが簡単な木なんじゃん。」
と思いながら、私も何度かその木に登った。
登ったと言うほど、高い木でもなかったが。
何故あの木は上に伸びずに横に広がっていたのだろう。
後にも先にも、あんなに横広がりなサルスベリを見たことが無い。


  サルスベリに花が咲くと知り、そしてそれが夏の花だとはっきり認識したのは
中学一年生のときだった。
バスケ部の夏合宿の朝、コンビニに寄るためにいつもと違うバス停からバスに乗った。
バス停の脇の大きなサルスベリの木に、
赤紫色の美しい花が満開に咲いていて、あぁ美しいなぁ、と思ったのだ。
夏休みに入ってからの練習がきつくてきつくて、
合宿に行くのが嫌で仕方なかった。
逃げられるものなら逃げ出したかったが、そんなことはとてもできなかった。
辛い三泊四日の合宿から帰ってくる頃には、
このサルスベリの花も全て散ってしまうのだろうと思った。
練習があまりにも辛くて堪え難く、合宿が終わる四日後が遠い未来のことのように思えていた。
合宿から帰ってもう一度あの木を見に行ってみると、
合宿に行く前と同じように花が咲き誇っていた。
随分長く咲く花なのだなぁと思った。
散らない花なのだと。
私は桜ばっかり知っていたから、
どんな花も満開になったらあっという間に散って行くものなのだと思っていた。


  予備校に通っていた頃、
当時とても好きだった人と上野に行った。
夏期講習があけた頃で、別に受験は終わってなどいないのに少し開放感を感じていた。
八月の終わりか、九月の始めだった。
彼と出かけるのは二回目のことで、確か上野には、私から誘ったのだ。
博物館に行った。
台風が過ぎた後か、あるいはただの雨だったか、雨上がりのじめじめした中を歩いていた。
ぼんやりした空気の中で、ぱっと明るいきれいな色のサルスベリが咲いていた。
「あ、サルスベリ。」
私は呟いた。
その時の彼の返事を、私は今でも覚えている。
優しい人だった。


  いくつかの私の夏の記憶の中には、サルスベリが咲いている。