シェフ34歳

  今日は有楽町のレストランに営業に行った。
まだ誰も担当していなかった所なので、引き継ぎではなく、新規だ。
先日  雑誌で見て私はこのお店に一目惚れして、
先輩に頼んで担当させてもらうことになった。
きちんとアポイントをとって
(意外かもしれないが、アポイントをとらないで訪問する場合のが多い)、
どんなことを聞き込んで今日は何を売り込むかを自分で考えた。
日本には三店舗しかないがミラノに本店がある他、香港などにもお店がある。


  ミラノの本店は歴史が古く、
ヘミングウェイスタンダールが出入りしたようだ。
しかもヘミングウェイの『武器よさらば』では、
ミラノのこのお店へ行くことが理想のデートコースとして出てくるのだと言う。


  それだけでもう、私のミーハー心をくすぐるのには充分で、
例えワインや食品が売れようと売れまいと、
私は張り切って今日に臨んだわけである。


  約束の時間に店に行くと、客席に通された。
待っても待っても、約束したはずのシェフが出てこない。
忘れられてしまったのだろうか、など不安がつのる中、
ホールの係の方が
「お待たせしました、参りました。」
と、私に声をかけてくださった。
後ろを振り返ると、
お客様と楽しそうに会話をするシェフの姿が見えた。
横顔をちらっと見た時、
なんとシェフがイケメンで、
にやけてしまわないよう深呼吸をした。
一応  席を立ったのだがお客様との話が長くなりそうに見えたので、
また席に座った。
ほどなく私の前に表れたのは期待を裏切らない爽やかな男性で、
しかも大変気さくな方だった。
話し好きと見えて、
イタリアで修行していたときのことや、
食材へのこだわりなどを話してくださり、
こちらももちろん気分がのっているので一時間近く話した。
一人で営業をするようになり一週間だが、こんなに長い商談をするのは初めてだった。


  会社に戻り、先輩に今日の報告をした。
いろいろ話していくうち、
そういえば他のチームの誰かがこのお店を担当していたかもしれないという話が浮上した。
辿ってみると、
私の知り合いに似ている例の男性社員だった。
今日そのお店に行って来た話をすると、
「あぁ、あそこのシェフかっこいいよね。
 俺、今年に入ってまだ1回しか行ってないし、行っていいよ。」
と、言ってくれた。
シェフがイケメンだから行きたがっていると思われるとまた厄介なので
「爽やかな方ですよね。
 ちょっと話が長い感じがするけど。」
と、言ってしまった。
「そうなの。
 俺、あんまり話してないからわからないけど。
 割と若いよね。」
「34歳らしいですよ。」
「歳まで聞いてきたの。」
「話の流れで。」
これ以上話すとまずいと思い、逃げた。


  たまに、こういう  いいこともある。