カフェオレ


  私の日課は朝 アイスカフェオレをいれることで、
時間がなくてこれをしなかった日は、どうも調子が出ない。
カフェオレを飲むことに意味があるのか、
いれることに意味があるのか、
どちらなのかはわからない。
両方かもしれない。


  二年前の夏、まゆさんがSSVになったばかりの時、
夏限定発売のコーヒーの器具を使った、カフェオレのレシピを考えた。
私はよくわからなかったが、
企画して、その情報を共有して、人を巻き込みながら実行して行くための、
練習だったのだと思う。
ちょうどセールの時期に合わせて、
美味しいカフェオレをサンプルで配ることで器具の販売の促進にもなり、
カフェオレをいれるパフォーマンスもできて、
本当に、よく考えられた案だった。
何より、まゆさんが毎日夢中になってカフェオレのレシピを考えたことが、すごかった。
岸野さんもよく見ている。
何日もかけてまゆさんは氷とミルクと、珈琲豆の分量と、シロップの量の配分を試行錯誤し、
斬新なレシピを作った。
そのカフェオレは本当に美味しくて、
ミルクの優しさもありながらしっかりとコーヒーの味がして、
もしかするとお店で買うカフェオレより美味しいのではないかというくらいだった。


「作って配るコーヒーが美味しいか美味しくないかで、
 器具の売れ行きが変わるから」
と、岸野さんが言っていたのを、今でも良く覚えている。


  まゆさんから教わりながら皆でカフェオレのレシピを習得し、
高島屋のセール本番にはデモンストレーションをしながら、器具を売った。


  これをこんなに印象深く覚えているのは、
やはり、
セールの4日間に向けて準備した数週間分、
心と時間を費やしていたからなのだと思う。
レシピを考えたのはまゆさんだったが、お店にいた全員が一つのことに向かっていた。


  今年も夏がきてまたセールが始まり、今日で終わった。
昨日、友人らに誘われて、地下の珈琲屋に立ち寄ると、
二年前に私たちが作っていたのと同じように、
同じ器具を使って、カフェオレを作っていた。
酔っぱらっていた私は遠くから見ながら、何か変だと思っていた。


  今朝 目を覚ましてから、
あぁ、あれは抽出しているコーヒーの量が多かったのだと気が付いた。
そして急に私は、途轍もなく寂しくなってしまった。
まゆさんが一生懸命レシピを考え、
働いていた全員が、そのレシピでカフェオレを作る練習に真剣になった。
しかし、そのうちの誰も、もうあのお店にはいないのだ。
でも、まるで儀式のようにあのカフェオレを作ることだけがお店に残っていて、
あの時の私たちの感動も、思い入れも知られることなく、
ただ、
カフェオレを作れば売れる、という発想だけが残って、
なんとなくの分量でカフェオレが作られていた。


  人が変わればお店も変わるし、
あの時にいたうちの誰もあのお店にもういないのだから、
それはそれで、いいのかもしれない。
私が嫌だったのは、
他のことはどんどん無くして、変えて、だめにしてきた今の店長が、
中途半端になんとなくカフェオレを作らせていたむしの良さだったのだと思う。


  私が家で作るカフェオレは、今も、あの時まゆさんが考えたレシピとほぼ同じだ。
そこから、シロップをぬいただけ。


  人の想いというのは目には見えなくて、形にも現せないから不確かで、
儚くて、曖昧だ。
だけど、最後に残るのは、やはり想いなのだと思う。