未練


  くるりの詩集を買った。
今まで発表されてきたうちの36曲の歌詞が収載されていて、
そのうちの何曲かの歌詞には岸田繁の解説がついている。
これはこの本のために岸田繁が書き下ろした解説ではなくて、
曲を作ったばかりの時に、
他のメンバーにそれがどんな曲であるかを伝えるために書かれたものなのだという。


  解説を読んでいると、
失うことの恐さや、変わっていくことへの恐怖など、
そういうセンチメンタルな感情がモチーフになっている場合が多いことに気付く。


 そしてそれはまた、
失ってしまったもの、あるいは失いつつあるものへの未練と読み解くこともできる。


  私は、未練のある作品が好きなのだということに気付いた。
荒木経惟の写真も、そうなのだ。
妻・陽子との時間への未練。
今のこの愛おしい時間が過ぎていってしまうことへの未練が、彼に写真を撮らせた。
  岸田繁もまた、
愛であったり、感情であったり、
今ここにあるものがやがて形を変えていってしまうであろうことへの未練から、
歌詞を書いているのかもしれない。


  私の文章もまた、今ここで自分が感じていることへの未練なのだ。
かつて私は、今自分が想ったり感じたりしたことを忘れてしまうのが勿体なくて、
文章を書いていた。
高校時代に好きだった人のことなんて、
その人との会話の一言一句をもらさないよう、日記に書いたりもした。


  しかしある頃から、私は自分のそんな書き方のスタイルを否定するようになった。
本当に大切なことなら、忘れるはずがない。
書かないと忘れてしまうなんて、残念なことだ。
本当に大切なことなのにそれを忘れてしまう自分が嫌だったし、
また、
書かなければ忘れてしまう程度のことなんて、本当は大切ではないのかもしれないと思った。
そしてある時から、何も書き残さないようになった。
そうしたら私は、大切だったことをほとんど忘れてしまった。
それと同時に、書くことを失い、何も書かなくなってしまった。


  結局私は、自分の中にある未練しか書くことができないのだ。
時間への、未練。
今日あったこと、今日想ったことを忘れてしまわないよう、書き留める。
例えば今の私は、他の大多数の若い女の子のように、
現在進行中の恋のことなんて書いたりはしない。
恥ずかしくて書けないというのもあるし、
また、
それは、未練ではないからだ。
でも、過ぎてしまった過去の好きだった気持ち、好きだった記憶のことなら、書くことができる。


  私はきっと、岸田繁の歌詞ににじんでいた未練を無意識に感じ取っていたのだ。
だから、余計  夢中になったのだろう。
詩集を読んで、この「未練」というキーワードに気付き、
私はより一層  岸田繁の歌詞が好きになった。