会話


  会話とは、何のためにあるのだろう。


会社員になって以来考えていたことであるが、
営業職のマナーの本を読んでより一層、そんなことを考えてしまった。
相手がこんなことを言ったらこちらはこう返す。
相手がボケてきた場合はこう切り返す。
表面では仕事とは関係ない明るい会話に見せかけて、
実は予定調和的な、
あくまで相手をいい気持ちにさせるためだけの儀式をしているにすぎない。
いつか自分も、
自然にこんな会話をする日がくるに違いないし、
できるようにならなければ、仕事ができるようにならないのと同じだ。


  先輩や上司と一緒のときも、
気を使ってこちらが話題を持ちかけなくてはいけない雰囲気になる。
当たり前のことなのだろうけど、
私はもともと、親しい人や友人、家族といても、
話す時と話さない時とで非常にムラのあるタイプなので、
無理矢理話題を見つけて会話をすることが辛くてならない。


「今日、お昼ご飯何食べました?」
「最近、いいことあった?」

  
  そんなことを聞いて、どう話を拡げればいいんだろうと思う。


  それよりも、日本橋アスファルトの道を歩いていて、
何故か連続で三匹もミミズを見つけて
「都会のど真ん中のアスファルトになんでミミズがこんなにいるんですかね。」
と言ったり、
麻布十番のあるお店の前に納品されていた発泡スチロールから
3匹分の魚の尾びれが飛び出ているのを見つけて笑ったりとか、
そう言うことの方がお互いに愉しいと思うのだけど、  
どうも、会社員は、そういうことじゃ笑ってくれない。


  お客様と話していて一番愉しかったのは、
ある問屋の係長と話したときのことだ。
「吉田さん、大学では何勉強してたの?」
「日本文学を勉強していました。」
「日本文学って言うと、何やるの?」
「必修でまず古事記から源氏物語夏目漱石まで全ての時代の文学を勉強して、
 私は最後に江戸時代の文学を専攻しました。」
「そうか。
 俺、池波正太郎が好きなんだよね。
 今は事情があって酒はやめてるんだけど、
 食はこだわっちゃって、今日も昼から2500円のオムライス喰ったんだよね。
 どう?
 池波正太郎の血を感じるでしょ。」
そう言って、その人は笑った。

 
  面倒と言っても、まぁ商談なんて30分やそこらなんだから、
いかに相手の気分を良くするかということへの集中力が持たないわけじゃない。
そう思えば、そんなに苦にはならない。


「吉田さん、俺っていくつに見える?」
課長に聞かれた。
本当は40歳と知っていたのだけど、微妙にずらして
「38歳です。」
と答えてしまった。
「僕、この間の日曜日にキャバレークラブに行ったんですよ。
 通称、キャバクラね。
 そこで、お店の女の子に50歳って言われたんだよね。
 それでさ、今朝、中学一年の娘にその話をしたら、
 娘が『どこの女がそんな失礼なことを言うんだ』って怒ってさ。」
と、おっしゃった。
その会話を横で聴いていた先輩が
「それ、キャバクラですよね。」
と言った。
「いや、キャバレークラブ。」
「キャバクラじゃないですか。」
「いやいや、違うんだよ。」
何となく、そのニュアンスの違いがわかるような気がした。


  私は、課長のことは好きだから咄嗟に「38歳」と答えても苦でもなんでもなかった。
きっと、予定調和的な会話も、
相手のことが好きであったり、好感を持っていれば、
答えるべき模範解答を口にすることが、苦にはならなくなるだろう。
会社員の会話はきっと、言葉そのものには何の意味もない。