探し物は見つかりましたか

 大学四年生の時、ある出版社が主催する、表現とは何かを考える講座に出ていた。
 半年間の講義が終わるとき、講師をしていたその人からハガキをもらった。
手紙は全部で三行か四行かの文章で、
その一行目には、こう書かれていた。
「探し物は見つかりましたか?」


  その頃の私は、
自分は確かに何かを探しているのだけど、
でもいったい何を探しているのかわからない、という状態だった。
半年間の講義の始まりの日、その人に初めて会った日に私は言ったのだ。
自分は何か表現に関わることをしたいのだけど、
でも具体的に何をしたいのかはわからない、と。
それがわかればいいと思って、今日はここに来た、と。


  半年経ってもまだ、わからないままだった。
そしてあれから二年が経った今でもまだ、わからずにいる。


  会社を辞めたきっかけは、いろいろある。
11月に大川先生と下北沢の道ばたで偶然会って、
「今すでに価値のあることに飛びついても、
 それはただ他人の排泄物をなめているだけにすぎない。
 今はまだ価値のないことに価値を作り出していかなくてはいけない」
と、突然言われた。


 
  会社員というものに一度なってみたいと思う反面、
本当に好きなことをするならアルバイトでもかまわない、という気持ちがあった。
それでも会社員になることを選んだのは、
母を安心させたかったことや、
母や父も経験したことがないものを自分はやってみたかったということや、
家に決まった額のお金をいれなくてはならないことと、奨学金の返済など、
いろいろな理由があったからだ。
会社員というものになってみたい、という好奇心が一番大きな理由だったのかもしれない。

  いつからか会社は私にとって、
経験を得るための場所ではなく、お金のためだけの場所になっていた。
正社員であることそのものに価値があるという社会的状況の中で、
私もまた、正社員というものにしがみつこうとしていたのかもしれない。
そういう状況の中で、下北沢で大川先生に会った。
11月3日だった。

 出版社で働けることになったら、
たとえそれがアルバイトであろうとも、すぐに会社を辞めよう。
元旦あたりでそんなことを決意して仕事を探し始めたら、
運良く今の会社でのアルバイトの募集を見つけたのだ。


  いろいろな人を裏切り、迷惑をかけることが少しは気になったが、
でも、自分を貫くためには必ず犠牲も伴うのだ、などと思い、
誰にも言わずに一人で考え一人で決め、
誰も知らないところでアルバイトの採用が決まり、
それから、「家に入れるお金は減らさない」という条件の下で親の承諾を得て、
会社にも退職の意を告げた。
取引先に挨拶もないまま、私は会社を去り、
その後私の悪評を様々なところで耳にしては少し心を痛ませながら、
それでも私は心の底から今ある自分の生活に満足して、
「これでいいのだ」
と思っていた。

  いろいろな人から
「それでいいの?」
「何がしたくてこの会社に来たの?」
「正社員を辞めるなんてもったいない」
と言われた。
でも私はずっと、
「これでいいのだ」
と思っていた。
ただ一つ不安なのは、これから先、自分が、何をどうしたいのかが見えないことだった。
自分はやっと、望んだ道を歩み始めたのだという確信はあったのだけど、
果たしてここから何をしたらいいのかが、わからなかった。
自分の中が雑然としていた。
しかし、雑然としていることは幸福なことだとも思った。
からっぽになっているわけではない。
自分の中には既にもう答えがあって、
だけどそれを自分で自覚できていないだけ、そんな気がしていた。



  私はあの講座に通ったから、今があるのだと思う。
探し物は見つからない。
だけど、探す手がかりは、あの講座の中から得ることができた。
誰か一人の監督に夢中になり、
まるで彼を追いかけ回すように試写会に行くようなこともなかった。
こういう何気ない時間の先に、
答えがあるような気がしている。