労をねぎらう


  気が付けばあっという間に2月。
「吉田さんも、もうすぐ1年ね。」
なんて言われることが増えた今日このごろ。


  ぼんやりしていると時間ばかりがどんどんどんどん流れて行く。
どんどん私にも仕事が引き継がれ、
自分の身に降り掛かる出来事に、私はまだついていけてない。
アルバイトをしていたあの珈琲会社は個人の成長に合わせて
仕事もステップアップさせてくれたものだが、
私の会社は違う。
会社の都合に合わせて、どんどん次の仕事を任される。
私の気分としては、
魚をさばくことすらできないのに、
いきなりフグを一匹渡されて刺身にしろと言われているような気分である。
どこから手をつけていいのか、はたまた猛毒の内蔵はどうやって取り除くのか、
それすらもわからず途方に暮れているうち、
目の前のフグが刻一刻と鮮度を失い焦っている、そんな感じだ。今の私は。

  
  この商品もっと安くしてください、と言われ、
コストやら何やらを計算してどこまで利益を削っていいか上司に相談して、
それから社内稟議をまわして問屋に見積もりを出す。
  上司に話をもっていくときにはその商品の在庫数を調べ、
その商品が全社で月にどれくらいの数量で推移しているかも調べ、
輸入のオーダーがかかっているかも調べる。
その次に、自分が担当している問屋は現在月にどれくらいそれを買っていて、
値段を変えることでどれくらいの数字の変化が見込めるかも考える。
  

  全社の推移やら、自分の問屋の推移を調べるためには、
エクセルを使う。
会社のデータがプログラミングされているから、
パスワードを入力してデータを出力するのだけど、
それについても教わったことがあまりないので、隣の人に聞きながら作業する。


  そう言う一つ一つの何でもない作業を、
今まで隣の人や、時間に余裕のありそうな先輩を選びながら教わってきた。
どういう場面で何をするべきか、
営業ってどんな仕事をするのか、
そういう基本になることをきちんと教わる機会というのは、
会社は設けていないので自分から創らない限りずっとやってこない。
さっき私は、今の自分に求められている仕事の高度さをフグの調理で例えたけど、
私の会社は、
泳ぎ方もわからないのにいきなり沖で船から海へ放り投げられ、
もがいているうちに泳ぎ方を覚えていくような、
そういうサバイバル的なやり方をしているのである。
溺れてしまう人はそれまで。誰も助けてはくれない。


  私は今そういう状況の中で働いているから、
これから先、どんな会社でも働いていけるだろうという自信がある。
電話の取り方に始まり、クレーム対応や、欠品のお詫びや、
そういう高度なことに至るまで、
全部自分で考えて行動してきたことを考えると、
私は自分の労をねぎらわずにはいられない。
良くここまで自分の力で頑張ってきた、と。
クレーム対応や欠品のお詫びなんて、
どうするべきか会社では教えてくれなくて、
ただお客さんの所へ行くよう言われるだけだったから、
アルバイトの時に教わったことなどを思い出しながら行動してきた。


  これは会社の愚痴をこぼしているのではなくて、
自分の労をねぎらうための文章なのだ。
そして、何ができるようになったか、自分で一つ一つ確認をしているのだ。