コンビーフのサンドイッチ


  大学3年生の時の12月、アルバイト先のメンバーでプレゼント交換をした。
1人1個プレゼントを持ち寄り、プレゼントに番号をつけ、
くじをひいて当った番号のプレゼントをもらうというものだった。
岸野さんがうっかりプレゼントを忘れ、
岸野さんのプレゼントをもらうことになった人は岸野さんと食事をすることになった。
幸か不幸かそのくじを引いたのが私で、
じゃあそのうちランチでも、と言いながらプレゼント交換会は終わった。


  その日の夜、私は夜8時までのシフトで、
岸野さんがお店を閉める日だった。
そのとき私は、クリスマス商品の棚への陳列を担当させてもらっていた。
商品が完売するような陳列、というのが岸野さんから与えられた目標だった。
8時を過ぎても陳列を考え、棚替えをしたりしているうち、
デパートの閉館の時間になった。
デパートのすぐ裏にコンビーフのサンドイッチがおいしいお店があって、
私は岸野さんに提案した。
「プレゼントの食事なんですけど、
 今日、これからコンビーフのサンドイッチが食べたいです。」
と。
すると岸野さんは、
「今日は別に時間ならあるんだけど、お金が2000円しかないよ。」
と、言った。
そんな話をしていたら、
閉館から何十分か経ったとき、
中年の女性が1人で車椅子を2台押しながらやってきて、
「タクシーに乗って帰りたいのですが、
 どこから出たらいいですか?」
と、私たちに尋ねた。
岸野さんは道を説明した後、私に、
「車椅子2台だし従業員用エレベーターに案内しちゃおうか。」
といい、車椅子を1台押し始めた。
私もつられてもう1台を押しながら、岸野さんについていった。
さっきまで、右手で1台、左手で1台の車椅子を押していた女性は、
本当に安心したような、嬉しそうな様子でいた。
冷たい雨の降る日だった。
タクシーの順番を待つ間、雨も風も冷たく、ひどく寒い想いをしたのを覚えている。
車椅子に乗っていた女性が、
中年の女性に
「お金をさしあげて。」
と言った。
中年の女性は、
「お礼です。」
と言いながら、私に1000円札を2枚渡そうとした。
「お2人でお茶でも飲んでください。」
と、彼女は言った。
大丈夫です、ありがとうございます、などと私は言っていたのだけど、
彼女はいつの間にか岸野さんのポケットにそのお金をねじ込み、
タクシーに乗り込んでいった。
「あの人さ、
 俺たちが珈琲屋って気付いてなかったのかもしれないけど、
 これで珈琲でも飲んで下さいって2000円くれたよ。」
と、岸野さんがぼんやり言った。
「え、受け取ったんですか!」
と私が言うと、
「ポケットに入れられてた。」
と、岸野さんが言った。
「じゃあこれでサンドイッチでも食べに行こうか。」
と、岸野さんは続け、
その日私と岸野さんはコロナビールを飲みながら、コンビーフのサンドイッチを食べた。


  そのお店は私にとって少し思い出のあるお店で、
そこで泣きながら岸野さんに将来の相談をしたこともあれば、
岸野さんが都会のお店へ異動していく前の最後の日、
2人でやはりコロナビールを飲みにいったりもした。
最後のあの日、何故か岸野さんが唐突に
野坂昭如の『エロ事師たち』という本の話をしたことも覚えている。
店長と言う立場もあって、
セクハラと言われてしまいそうな話題を頑なに避けている岸野さんが、
日本文学について話す時だけは普通に男女の関係について話していたことも印象的だった。
私は大学で日本文学について研究していたから、
むしろ男女の関係について触れることを避けたら
日本文学については語れないと思い込んでいたので
野坂昭如の本についてもすまして話を聴いたけど、
そういう感覚がなければ少し驚くであろう話を、岸野さんは唐突にしたのだ。


  最近、そんなことも思い出さないくらいになっていたのだけど、
仕事で知り合った人が、
前にそのコンビーフのサンドイッチのお店で働いていたと知った。
「コンビーフのサンドイッチが一番好きです。」
と私が言うと、
「俺、ずっと作ってたよ。」
と、彼は言った。
話していくうち、あぁきっと私はその人の作ったコンビーフのサンドイッチを
食べていたのだろうということになった。
その人と会ったせいで私は、
今までの様々なことを思い出して、センチメンタルになっていた。
せっかく忘れていたというのに。


  先週の木曜、その人がいる店に行って話をしていたら、
「今日の夜、店に来れば。」
と、冗談まじりに言われた。
「私、今日1000円しか持ってないですよ。」
と私も言ったが、
「いいじゃん。」
と言われて、
岸野さんの2000円と、もらった2000円だけを持って
コンビーフのサンドイッチを食べにいったことを思い出した。
きっとあの日も、
私は知らず知らずのうちに彼が作ったコンビーフのサンドイッチを食べていたのだろう。
私は今、1人で1000円しか持たずにあの日と同じことをしようとしているのだ、
と、ついつい感傷的になってしまった。
  

  珈琲屋で働いていた頃、
就職のこと、大学の授業のこと、文学のこと、好きな映画のこと、日常の他愛無い話、
それらを私は、きっと、誰よりも岸野さんに話していた。
きっとそれは単に岸野さんと働いていた時間が長いからではなくて、
かつて私が夢中になって祖父に色々な話をしたように、
ちゃんと私の話を聴いてくれて、私の期待に限りなく近い形で解釈してくれたからだと思う。
映画のことも文学のことも、
私が何かの作品の名前を出すと、岸野さんは大抵それらを知っていた。
だから、話すのも楽しかった。


  岸野さんが異動していって、私は無口になった。
話さなくなったわけじゃない。
ただ、話し相手を失ったような気がした。
それでもふくちゃんがいたり、誰かしらに話していたけど、
会社に入ってから私は本当に、話し相手を失ってしまった。
珈琲屋にいた頃、私はお店の人たちに甘えながら働いていた。
珈琲屋だけではなくて、
隣の紅茶屋さんにも、正面の自然食品のお店の人にも、
私は随分たくさんの人に甘え、お世話になりながら日々を過ごしていた。
その人たちの前で、私は、無防備になれた。


  だけど最近はすっかりそういう環境を失ってしまった。
もともと友達もそんなにいなかったし、
珈琲屋の人たちも生活がばらばらになった。


  寂しかったのだ。