ともだち


  小学生の時の友達と久しぶりに会った。
もしかしてもう4年ぶりくらいになるかもしれない。
久しぶりに会った今日も、
彼女は私を「あやたん」と小学校の時のあだ名で呼んでくれた。
今じゃもう私を「あやたん」と呼ぶ人なんていないから、嬉しかった。


  彼女とは、小学校の6年間ずっと同じクラスだった。
中学に入ってからも部活が同じで、
お互いの家に行き来したり、特に仲が良かった友達だった。
明るくて、面白くて、人当たりも良くて、
どんな人からも好かれた。
私ももちろん彼女が好きだったし、また、憧れでもあった。


  高校ではクラスも部活も違って話す機会が減ったが、
成長してからは決して人に見せないような部分を小・中学校の間に見せた分、
気心知れている気がして、彼女は私にとって落ち着く存在だった。
彼女にとっての私もまた、そういう存在だったのではないかと思う。


  彼女も私と同じように大学受験した。
彼女と私は違う大学だったけど、
大学であまり友達を多く作れなかったという点では同じだった。
私は浪人して大学に入ったが、彼女は現役合格して私より一年早く大学に入っていた。
彼女が大学二年生のとき、一度だけお茶を飲んだ。
大学の人と話してもあまり面白くないし、友達もそんなにいない。
彼女はそんなことを言っていた。
五月か六月だったと思う。
大学に入って間もなかった私は、当時、大学で全く友達がいなかった。


  私たちに友達ができなかった理由は、
「今ここで友達ができなくても、自分にはもっといい友達がいる」
と開き直ってしまったことなのだと思う。
大学を卒業して半年経った今、そんなことに気が付く。


  社会人になって久しぶりに会ってみて、
もう何年も会っていなかったにも関わらず、
毎日会っている人よりもずっと気楽に話をした。
彼女の存在があまりにも当たり前すぎて、
懐かしさなんてものさえ感じなかった。
くだらないことで笑ったりしながら、
あぁこんなことで誰かと一緒に笑うのも本当に久しぶりだな、と思っていた。


  しかしふと、彼女の腕に残る何本もの線に気が付いた。
最初は、見間違いかと思った。
しかし、それは紛れも無く、彼女が、
何度も何度も自分で切った跡だった。
肘から手首まで、数えきれないほどの線があった。
そしてそれを更に上に辿って行くと、
腕にも沢山、その跡があった。
全て、もうすっかり過去のものとなっていて、肌の色に変わってはいたけど、
少なからず、私は、ショックだった。


  彼女がそれを隠そうとはせず、
半袖の服一枚でやってきたということはどういうことだったのだろうと、
帰る道々ずっと考えていた。


  高校時代、彼女はバスケ部だったし、
もしも当時からその傷があったなら気付いていたはずだ。
大学に入ってからのことだろう。
彼女に、一体どんなことがあったのだろう。
自分は何も知らなかったなと思った。


  何だか、悲しかった。