ポケットに司馬遼太郎



  その人はまるでハーフのような顔立ちをしていながら、
生粋の日本人なのだと言う。
ヨーロッパ系の、きれいな顔立ちをしている。
出身は香川県だが、なぜか、関西弁のような話し方をする。
もしかすると、香川の話し方は関西弁に似ているのかもしれない。
口数は決して多くなく、でも何故か人当たりがよく、
割と淡々と生きている印象がある。
初めて会ったのは飲み会で、
私が参加するよりも前から散々飲んでいたとかで、
お店をかえたあと、初めっから寝ていたのを覚えている。
随分幸せそうな顔をして寝る人だなぁと思った。


  私と知り合う数ヶ月前まで、私と同い年の女の子と付き合っていたのだと言った。
「こいつ、まだ彼女を忘れられないんだよ。」
隣に座っていた人が言うと、その人は、少し恥ずかしそうに黙っていた。
音楽をやっていて、こんなきれいな顔立ちでいかにもモテそうな人なのに、
繊細なのだなぁと思った。


  昨日もまた人の家で飲み会をすると言って、数人で集まった。
彼も、バイトが終わってから途中参加した。
手ぶらでやってきて、ポケットから、歯ブラシがはみ出していた。
「歯ブラシだけ持ってきたんですか?」
私が聞くと、
「一応、お泊まりやから。
 これが俺のお泊まりセットやねん。」
と、言った。


  昨晩散々お酒を呑んで、今日の昼間、その人も含め三人でラーメンを食べに行った。
私は二人の後ろを歩きながら、
彼のズボンの後ろのポケットに文庫本が入っているのに気が付いた。
「本、何読んでるんですか?」
司馬遼太郎。」
彼は言いながら、ポケットから文庫本を出した。
カバーが外され、すこしくたびれた感じになっていた。
それがまた、読み込んでいるようにも見え、新品とは違う、手に馴染んだ印象を与えた。
「カバーとっちゃうの?」
もう一人が、彼に聞いた。
「あぁ、とるよ。」
「いつも?」
「いつも。邪魔じゃない?」
「いや、別に。」
「いや、邪魔やねん。本買ったら、いつも最初にカバー捨てる。」
と、彼は言った。前から思っていたが、彼は繊細さとワイルドさを持ち合わせている。
司馬遼太郎が好きだったら、池波正太郎とかも読みますか?」
池波正太郎は、父親が読めって言うとったけど、読めんなぁ。
 坂口安吾なら読むよ。」
堕落論なら読んだことがあります。」
「あの人は、物語の方が面白いよ。」
「他にはどんな本読むんですか?」
織田作之助とか、太宰治無頼派って呼ばれる人たちが好きやね。」


  人の家に泊まりに行くからと言ってポケットから歯ブラシをはみ出させ、
後ろのポケットには司馬遼太郎
そして上に羽織っているのは赤いアロハシャツ。
不思議な人だと思った。


「吉田さんの仕事は、ワイン売る仕事ですか。」
彼は言った。
「売れ残ったワインを無理矢理売らされたりもするん?」
「あぁ、ありますね。」
「そう言うときは、なんて言って売るの?」
「だいたい特価になってるから、特価です、って言って売ったり、
 相手によっては正直に『在庫が沢山あって』って言ったりしますね。」
「吉田さんにそう言われたら、素直な子ぉやなと思って買ってしまいそうだけどね。」
と、彼が言った。
何だか意外だった。


  そういえば昔、他の人からも素直だと言われたことがあったのを思い出した。
別に付き合っているとか、何かそう言う、特別な相手ではなかったけど、
「その素直さが好きです」
と、言われた。


  帰りの電車の中で、そういえば私は会社に入ってから、
素直さを失っていたと思った。
営業に行った先で、新人だからとみくびられるのが嫌だったり、
自分の未熟さや知識に自信が無いあまり、
虚勢ばかりはって、ろくでもない人間になっていた。
明日からはちょっと変わろうと、思った。