寄り道

  昨日の夜、窓を開けて寝た。
目を閉じて眠ろうとすると、虫の音が聞こえた。
昼間はまだまだ陽ざしが強くて気温も高いけれど、
着々と季節は秋に近づいているのだと思った。


  前から食べたかったシェフの料理を食べに行った。
ワインを飲みたくなった。
イタリアワインというのは食べ物と合わせて初めて完成するだか、
イタリアンというのはワインと合わせる物なのだか、
確かそんな言葉をどこかで聞いた。
(と言っても、ピッツァにはビールだと私は信じているが)
つまりその、イタリアにおいて、
料理とワインは切っても切れない関係にあるのだということだ。
  初めて、料理はワインを引き寄せる物なのだと知った。


  冬、寒い中を歩いてきてお店に来て、
この料理を食べたらきっと気持ちがほっこりするのだろう、
そんなことを思わせる味だった。


  シェフが出てきてくださり、
「どうでした?」
と聞いてくださった。
すぐには言葉が出てこなくて、
美味しかったのだけど、なぜかいい言葉が見つからなかった。
何だか社交辞令のような返事しかできなくて、後悔した。


  下田昌克さんの話をした。
下田昌克さんの絵のポストカードで、シェフに暑中見舞いを送ったからだ。
「ニュース23」のオープニングに下田さんの絵が使われてるなんて話をしたら、
「僕もフィレンツェに画家やってる友達がいますよ、何人か。」
なんてシェフが言う物だから、私は思わず、
「いいですよね。
 私も本当は営業なんてしていないで、
 そういう人達の近くにいたいんです。」
と、言ってしまった。
そこからついつい、
就職が決まっていなかったらアラスカにトーテムポールをたてにいってた、
なんて話をして、
「もんもんと悩んでるなら、いっそ、飛び込んだ方がいいですよ。」
と、シェフに言われた。


  私に足りなかったのは、覚悟なのだと思った。


  それから電車に乗って表参道へ移動して、
表参道を歩きながらずっと、シェフの料理について考えていた。
そう言えばあのエビが入っていた料理、
ちょっとしょっぱいけれどそれが逆に海の香りがするようだったなとか、
寒い日に食べたら心がほっこりするような温かい料理だったなとか、
色々と、言葉が浮かんできた。
そして、
少し敷居の高い上品なたたずまいのあのお店ではなくて、
もっとこじんまりとして、
ログハウスのような木の床と木の天井、木のテーブルの内装のレストランに
似合いそうな料理だったな、などと僭越ながら思った。
シェフの料理とあのお店では、ちぐはぐな気がしたのだ。
シェフは早く独立したいのだろうと、今日もまた思った。


  そしてふと、あぁだから私は文章を書くことに魅力を感じたんだったと、
思い出した。
心の中にもわっと生まれてくる言葉にならない想いや感情を言葉にするまで、
いつも大変な時間がかかった。
人との会話ではいつも消化不良のような気持ちだけが残って、
文章を書く時にしか満足に自分の気持ちに言葉をあてはめていけないから、
だから私は文章を書くことにのめり込んだんだったのだと。


  本当は、いくら時間をかけたって、自分の想いを表す最適な言葉など見つからない。
見つからないのだけど、
少しでも自分の感情に近づくために時間をかけて言葉を選んだり、
あるいは文章を構築していくのだ。


  心の中にあるもわっとした、空気のようにつかみ所の無い想いなんて、
別にそのままにしておいてもいいのだけど、
それをどうしても表現したいと思ってしまうこと、
それが、私の問題なのだと思った。
それを突き止めていくことだけが、
私にとって、自分に正直になるということなのではないかと思った。
そんなことに、今日初めて気が付いた。
きっと知らず知らずのうちに私はそのことを文章にしていたのだろうけど、
自分では少しも自覚していなかった。
自分に正直になるとしたら、それは、
心の中にむくむくと沸き上がってくる得体の知れない物を言葉を使って表現すること、
そのことに真剣になることしか方法はないように思う。


「でもこうして、色んなお店に行って、色んなシェフとお会いしてお話をしたり、
 今日みたいにこの仕事をしなければ食べられなかった物を食べることが、
 今は楽しいんです。嫌ではないんです。
 私は今、寄り道をしているところなんです。」
と私が言うと、シェフは、
「僕も今は寄り道しています。」
と言った。