会社員

  いつ会社を辞めてもいいように、机の中はきれいにしてある。
ある朝目覚めて、突然そのまま会社に行かなくなってしまうかもしれない。
あるいは、
営業から戻ってそのまま課長に辞表を渡すかもしれない。
私の会社は、
「辞めさせてください。」
とお願いすれば
「じゃあ明日から来なくていいよ。」
という返事がくる会社なので、
ある日突然会社に行かなくなることが充分起こりうる。


  あの会社が嫌なのではない。
仕事に悩んでいるわけでもない。
ただ何となく、今の生活は間違っているように感じるのだ。
  会社が夏期休暇に入って5日間もお休みをいただいてしまうと、
私は、自分が会社員であったことなんてすっかり忘れてしまう。
明日からどうやってまた会社員に戻っていったらいいのか、わからなくなってしまう。


  二週間前、谷川俊太郎さんが
「僕はずっとこんな仕事をしてきたから、スーツなんてとても着ることができない。」
と言い、それから少し間を置いて、
「でも、スーツを着ることで何かスイッチが入ると言うか、
 何かそういうものがあるんだろうねぇ。」
と、続けた。
そうなんですよ!と心の中で私は返事をした。
私だって一年前の今頃
「スーツを着なくていい仕事がしたい。」
なんて言っていたけど、
今じゃ別に着なくてもいいのに積極的にジャケットを着ている。
ジャケットもスーツも同じようなものだ。
私はジャケットを着ることで、会社員としての私を作っているのだ。
ジャケットを着ないと、どうも心が仕事に向かわない。
「スーツを着ることで自分が制御される」
という先輩の言葉をいつも思い出す。


 ところで、
「いつ会社を辞めてもいいように、机の中はきれいにしてある」

「いつ会社を辞めてもいいように、机の中をきれいにしている」
では、どのように違うだろうと、ふと思った。
どちらもいつか会社を辞めるときのために
机がきれいな状態になっていることには変わりないが、
少しニュアンスが違う。


「いつ会社を辞めてもいいように、机の中はきれいにしてある」
というと、
机は常にきれいで、特に私が机をきれいにするための動作はしていないニュアンスだ。


「いつ会社を辞めてもいいように、机の中をきれいにしている」
というと、私は毎日心がけながら机をきれいにしているニュアンスだ。
本当は今の私の状態はこちらのニュアンスの方が正しいのだけど、
無関心な感じ、会社に少し距離を置いている感じを表したくて
「いつ会社を辞めてもいいように、机の中はきれいにしてある」
と、冒頭に打った。
別にどうでもいいことなのだけど、
こういう小さな積み重ねが、文章全体の雰囲気をつくっていくと思っている。
読者は、いちいち細かい表現や一言一句をひろって分析したりしない。
文章全体の雰囲気や無意識に感じ取る言葉のニュアンスから、
文章全体の印象を抱くようになる。
私はそういう雰囲気や、感覚的なものの方が人の印象に残りやすいのでないかと思っている。
会社に無関心な様子を装いたくて、私は、こんな冒頭にした。