オリーブオイルのテイスティング


  トマト2缶と食材を数点持って有楽町のレストランへ行った。
こんなに持ってきてシェフが不在だったら嫌なのでアポはとってあって、
14時半に約束してあった。
有楽町のビル街の中、
少し早く着いてしまったので立ち止まってぼんやりしていたら、
偶然外を歩いていたシェフと遭遇してしまった。
シェフの方から私に声をかけてきたのだ。
暑いのと、荷物が重いのとでひどい顔をしていただろう。
重そうだから持ちますよ、というシェフのお言葉に甘えて、
営業マンともあろうものが、
お客様であるシェフにこれから渡す食材を持たせる。
でも、多分2キロはあるであろうと思われる書類の入ったバックと、
自分のその他の荷物をいれたバックと、
食材をまとめた6キロ近くあるバックの三つを持っていたので、
これだけ持っていたならシェフの言葉に甘えていいかなと思い、
持ってもらうことにした。


「元気ですか?」
歩きながら、シェフが言った。
「はい、元気です元気です。」
別に適当に言った訳ではないけれど荷物の重さに気を取られながら
私が返事をすると、
「そうですか。」
と、なぜかシェフが笑った。
営業マンらしくない私の返事の仕方に、苦笑したのかもしれない。


「僕、裏口から入るので、店の中で待っていてください。」
と言われ、シェフに荷物を預けたまま、正面からお店に入る。
ホールのスタッフの方に席に通され、イスに座って待っていた。
「もしかして、さっきシェフと一緒に歩いてこられました?」
ホールの方に聞かれる。
「はい、偶然お会いして。」
「そうなんですか。ちょっと見えて、もしかしてそうかなと思いました。」
と、言われた。


  シェフが席まで来てくださり、商談を始める。
商談をすると言っても、食材を渡してしまえば後は特に話すことはない。
とても研究熱心なシェフなので、
だいたいのことはご存知なのだ。
私が紹介するまでもない。
こういうシェフに関してはとにかく味を見てもらうのがまず先だろうから、
渡してしまえば、
後はシェフに任せておいた方がいいのだ。


  持ち回りで色々なシェフに味見してもらっているオリーブオイルを出した。
シチリア産のエクストラバージンオリーブオイルだ。
1瓶2000円くらいする。ちなみに1瓶は500ミリリットル。
「今日はシェフにこのオイルの味を見ていただきたくて持ってきました。
 シチリアの有名なメーカーのものなのでもう味はご存知かと思ったんですが、
 ご感想をお聞きしたくて。」
と言いながら、オイルを手渡した。


  シェフは瓶を手に取り、
オイルを少しだけ手の平と手首の間のあたりにのせて、
少し香りを確かめるようにしながら、
勢い良くすすった。


  私は実は、これが見たかったのだ。


  この間、このお店で店長とシェフと私の3人で商談していたとき、
私が店長と話している間にシェフがさりげなく
こんな風に他のオイルのテイスティングをしているのを見て、
次に行った時にはこの独特のオイルのテイスティング方法を教えてもらおうと思っていた。
私は今まで何軒ものレストランでシェフ達がオイルをテイスティングする様子を見てきたが、
皆  パンにつけるか、スプーンですくってなめるかの方法で、
道具を何も使わずに、手に乗せながらこんな風に味を見るシェフは初めてだったのだ。



「今のテイスティングの仕方、教えてください。」
と私が言うと、
シェフがレクチャーしてくださった。
唇に少しオイルをためるようにしながら、すするのだという。
「イタリアでは、こういう風に味を見るって教わったんですよ。
 だから、こうするようにしてるんですけど。」
私がまじまじとシェフを眺めていると、シェフはそう言った。
「実は今日は、オイルの味を見てほしかったと言うよりは、
 このテイスティングの方法を教えていただきたくて
 敢えてオイルを持ってきたんです。」
思わず、正直に言ってしまった。


  話すこともなくなり、そろそろ行こうか思ったころ、
「もう行っちゃいますか。」
とシェフに言われる。
休憩時間にヒマを持て余しているのかもしれない。
私も時間が中途半端だったので、
シェフのお言葉に甘えてエスプレッソをご馳走になりながら、
とりとめもない話をした。


  色々なことを教えてくれるし、甘えさせてくれるし、
このシェフと話すのが心地よい。
たまに  ぼんやりしたり、
うっかり本音を言ったり、
まだまだ営業マンになりきれていない私を、
シェフはどこか面白がっているように見える。
シェフだって、他にも色々な営業マンと会っているだろう。
その中でシェフがこんな風に私を許してくれて、それに甘えているのが心地いい。
私の上司はよく、
「シェフから色々なことを教わっておいで。」
と、言う。
上司も、若いときはレストランのシェフから色々なことを教わったらしい。
でも、皆がみんなそんなに気さくなシェフなわけではない。
私は、その相手を、このシェフに決めたのだ。